イタチとプリン




 天宮千代です。
 本日、うっかり図らずも神様の世界に引きずり込まれました。
 黒い狐(ちょうもふもふ!)とか白いウサギ(ちょうふかふか!)と知り合いになり、わりとシステム化された神様の世界に助けられたり。

 とりあえずお狐さまのお宅に居候することになった私は、何はともあれ、難民申請することにした。
 これをしないと、この世界では買い物ひとつできないという。
 申請場所は、私がお狐さまと出会った「日本事務局」。
 正式名称「全宇宙神仏協会太陽系地球支部北半球部門日本事務支局」。…長え。
 つーか神とか仏って宇宙規模で存在すんの? 仏様って元々人間だったんじゃ…あれ、仏陀だけ?
 宗教なんてまともに知らないから、首をひねりつつ、この世界に迷い込んだときに見た、外観はなんとか大社みたいな事務局へ。
 ウサギなお兄さんが付き添ってくれたので、立派な門構えに怯むことなく、受付に到着できた。
「すみません。難民申請したいんですが」
「はいはい」
 大きな神社でお守りとか売ってるとこみたいな受付にいたのは、スーツ姿のおじさん。…スーツ。腕カバーまでしてるけど、このひと、人間かなあ。顔はちょっとイケメンだ。
 おじさんは、ウサギのお兄さんを見て、私を見て、またお兄さんを見た。
「えーと、こちらのお嬢さんですかね」
「ええ。数刻前、あちらから迷い込んだそうで」
「なるほど。じゃあ、まずこの鏡を見てください」
 おじさんが受付台から出したのは、「鏡」。
 とは言っても、私が毎日使ってるのじゃなくて、昔、教科書で見たようなやつ。あれ、何て言ったっけ…。
「三角縁神獣鏡?」
 おお、するっと出た。
 おじさんがにこっと笑う。
「ええ、これ、うちのオリジナルなんですよ」
「オリジナル?」
「この手の鏡って、大体が中国事務局が作ってるんですよ。あっちの神々ってしょっちゅう天啓したり、人界降りちゃうから、人間が量産しましてねえ。ちょっと前に、大陸の人間がうちの人間に大量に送りつけて偉そうにしてるのを、偶々うちの神が見ちゃいまして、もーヒステリー大変。なんで、うちもオリジナルで作って、天啓すればあんな粗悪品送られてヘコヘコしなくても済むだろう! ってことになったんです」
「はあ…」
 ちょっと前って…まさか、卑弥呼の時代とかか。そういや、古代中国の皇帝が卑弥呼に銅鏡大量に送ったって習ったような気が。
 なんか視線が遠くなってる気がしつつ、「じゃあ、顔映してください」と言われるがまま、鏡を覗き込んだ。思ってたよりずっと鮮明に映っている。
「はい、いいですよ。次は、この用紙に記入してください」
「はい」
 見ると、本気で区役所とかにありそうな届出用紙だった。一緒に出してくれたボールペンを取って…筆とかじゃないんだ…いや、助かるけど。
 でも、最初の名前の欄でつまづいてしまう。
「あのー、この氏名の欄の、『通称』って何ですか」
「ああ、真名を書いちゃうとダメなんでね。あだ名とか、呼ばれたい名前で申請してもらうんです」
「なんでもいいんですか」
「基本的には。でも、できれば真名と何かしら関係のあるものがいいんですけどね。例えば、真名から一字取るとか、一音取るとか」
「なるほど」
 ちょっと考えて、「千歳」と書いた。
「ちとせ、ですか」
 ウサギのお兄さんが興味深げに覗き込む。
「ええ。祖母の名前です」
 うち、祖母が千歳、母が千裕、私が千代なのだ。私の名前が一番古めかしい気がするけども。
 名前の次は、どこから来たか、とか、職業を書いたら終わり。あっさりだ。
「できました」
「はい、確かに。あと、住むところとか仕事なんですけどね」
「あ、はい」
「仕事、します?」
「はい?」
 なんだって?
「まともな大人なので当然だと思うんですけども?」
 なんか声裏返ったぞ。
 ウサギさんが苦笑いしてる。おじさんも笑いながら、「基本的にこの世界、労働しなくても人間は生きていけるんですよ」と言った。
「なんでまた」
「こう言っちゃなんですが、人間というのは神より圧倒的に劣る存在というのが大前提です。言い方を変えれば、絶対的庇護をして然るべき存在。だから、迷い込んだ人間は衣食住も娯楽も保証されるんです。悪さをしない限りはね」
「はー…なるほど」
 考えようによっては、三食おやつ昼寝付き待遇の迷子か。でもなあ。
「なんか、人間腐りそうなんで、働きます」
 働かざるもの、食うべからずって環境で生きてきたから、タダメシ食ってたら罪悪感ハンパない。
「そうですか。じゃあ、それはまたあとで詳しい相談をしましょう。で、住むところですが…」
「あ、それは問題ありません。彼女…千歳さんは、うちの主が後見に名乗り出てますので」
「後見? 契約はお済みで?」
 私とウサギが同時に首を振ると、おじさんは「じゃあ、住所登録だけしておきますねー」と難民申請用紙に何か書き足した。
「えーと、そちらさんのご主人様は?」
澪英山れいえいざんが主です」
 なんか漢字変換がよくできない固有名詞が並んだなあと思ったら、おじさんが軽く目を見開いた。
「おや、天狐様ですか」
「ええ、散歩中に出会ったそうで。随分と彼女を気に入った様子です」
「それはそれは。なら、安心ですねえ」
 何が安心なんだろう。お狐さま、偉いっぽいから、居候の弱っちい人間でも虐められないとか?
 聞いてみようかなあと思ったとき、出しっ放しだったさっきの鏡がチカチカと青く光った。
 おじさんが、「お、できたか」と呟いて、鏡に手を伸ばす。そして、鏡の中に手を突っ込んだ。
 …驚かない。大丈夫、驚いてないぞ。ちょっとビビっただけだ。
 ズルッと何かを引っ張り出す。
 それは、紐のついた青い勾玉だった。
「はい、お嬢さん」
 差し出されて、反射的に受け取ってしまう。
 ほんのりあったかい勾玉は、濃い青にところどころ水色やキラキラした銀粉みたいなのが入っていて、綺麗。
「これは?」
「身分証です。間違いなく人間で、この事務局が難民認定したっていう。必ずそれをいつも身につけていてください。えーと、使い方の説明書は…あった。これ、暇なときにでも読んでおいてくださいね」
 薄い冊子には、「身の証・取扱説明書」の文字。なんか…元の世界に戻れても、信心だけは死ぬまで持てない気がする。
 でも、とりあえず大切なものらしいので、首から下げた。
「じゃあ、これで難民登録は無事完了です」
「え、もう?」
 申請って言うから、もっと時間がかかるのかと。
 でも、おじさんは「その勾玉が鏡から出てきたってことは、間違いなく人間ってことですから」と言った。
「はあ」
「あ、あと、ご家族への連絡とか、どうします?」
 あっさりスコンと言われたことが、一瞬頭の上を滑った。
 んん?
「えーと、連絡、できるんですか」
「ええ」
 普通さあ、異世界トリップものって家族と離れ離れになって愛するひと見つけたけど家族への郷愁とか断ち切れないわどうしようって天秤ゆらゆらするのがセオリーですよね! 連絡取れちゃったら、なんかいろいろ台無しな気がしますよ!
 これまで読んだことのあるマンガやネット小説と、それ読んでドキドキハラハラしていた過去の自分に涙が出てくるわ。
 そんな私の内心を知るはずもなく、おじさんはヘロッと言った。
「こちとら、魂飛ばすのはお手のもんですから」
「たましい…?」
「生身の身体はさすがに無理ですけど、メッセージだけなら魂だけでも十分あちらに届けられます。ご家族の意識が沈んでいるときに、精神回路にちょっとお邪魔すれば、夢でちゃんと話せますよ」
「夢枕か」
 ダメじゃん、死亡認定されるじゃん。
 脱力しつつ、「今回はやめときます」とお断りした。
 そこまでして、連絡取りたい相手もいないし。
 いや、もしこっちに否応なく長期滞在することになったら、職場関係とかにはお願いするかもしれんけど。
「じゃあ、今日はこれでお引き取りいただいていいですよ。あとで、お住まいのほうへ『難民楽々セット』をお届けしますので」
 なんだ、その何が楽々なのか判断に悩むセットは。
 きっとお地蔵さんみたいな顔になっているであろう私に、おじさんは「生活費や衣類、生活必需品なんかをまとめたもので、これがあれば、とりあえずこの世界で生きていけるってお役立ちセットです」と説明してくれた。
「仕事のほうは、生活が落ち着いてから、また相談に来てください」
「わかりました。ありがとうございます」
 お礼を言って、ウサギさんと事務局を出た。
 実は、ここまで空飛ぶウサギさんの背中に乗ってきた…わけではない。ウサギ潰れる。
 空飛ぶ絨毯ならぬ、フライング馬車があってですね、快適クッションを楽しみつつ空中散歩しました。
 ついてくるとうるさかったお狐さまは、何やら仕事が溜まりまくっているらしく、別の男前さんにどこぞへ連行されたので知らん。
 で、駐車場ならぬ駐馬車場まで、歩いて移動。
 周りは、やっぱり大きな常緑樹が鬱蒼と茂った森のようで、少しだけ懐かしい。
 でも、元の世界は桜が満開だったのに、こっちは全く咲いていない。残念。
 真昼間の太陽の光は眩しいけど、不思議と強烈さはなくて、春なのか、別の季節なのか、よくわからなかった。
「なんか、あっさり終わって拍子抜けです」
 お兄さんに呟くと、ちょっと笑った。
「日本事務局は平和ですから」
「平和じゃないとこもあるんですか?」
「EUとか、中東支部、あとアフリカ支部のエジプト事務局とかは物騒ですね」
「なんでまた」
「あちらの宗教って、宝物とか聖遺物とか絡むの多いじゃないですか。そういうのを探してる人間が、うっかり迷い込むと、大変らしいですよ」
「へー…」
 神様も大変だな、と思ったところで、ちょっと引っかかった。
「あのー」
「はい?」
「神様って、どこからが神なんですかね」
 ウサギさんは足を止めて、マジマジと私を見つめる。なんだ、何かマズいこと言ったか。
「唐突に哲学的な話ですねえ」
「え? あ、いや、たぶん違う。そうじゃなくて、キリスト教とか、イエス様を崇めてるけど、あのひと、元は人間ですよね? あと、仏教の仏陀とかも。ああいうひとたちって、元人間・現在神って扱いなのかなーって」
 私の頭の中にあるのは、某有名マンガだ。仏陀とイエスが休暇中のやつ。
「あ、なるほど」
 軽く頷いて、「行きましょう」と私を促す。
「その辺は、事務局判断ですね。日本事務局だと、仏陀はあくまで人間だから認めないって姿勢です」
「へー、意外」
「だって、仏教って神(天)は仏陀に及ばないって宣言してますから。神道系とは相性悪いんですよ」
「はー…」
「イエスさんもね、アメリカ事務局は認定してますけど、EUは据え置きです。あの辺、理屈こねるの好きなのが多いですし、同一神なのに宗教が枝分かれしちゃって、人間の認識に隔たりが大きいんで面倒臭いんですよね」
「神様の世界も複雑なんですねえ」
「そうですね。あの辺り、ケルトだの北欧だのキリスト教以前の宗教が多種多様だから、そちらとの兼ね合いもありますし。でも、皆、血の気多いから、話し合いで片付かないらしいですよ」
「ほえー」
 神様も皆が皆、平和主義ってわけじゃないのね。そういや、破壊と再生の神とかゆーのがパズ〇ラにもいてたなあ。
 思いつくまま、ウサギさんにいろいろ教えてもらいながら、お狐さまのお宅に戻った。


 お狐さまの家に戻ると、出迎えてくれた綺麗なお姉さんが、私の部屋の準備ができたと教えてくれた。
 使い方とかの説明を受けるために、ウサギのお兄さんと移動する。
 私がお借りすることになったのは、部屋ではなく離れ。
 寝室と居間、書斎にバス・トイレ付。
 外観は古代中国なのに、内装は完璧に和室だ。寝室だけは、寝台というのか、ベッド方式だけど。
 トイレとかお風呂とか、それなりに覚悟していたのだけども、いい意味で裏切られた。
 トイレで用を足すと、瞬時に消え失せるのです。諸々。使った紙も便器に放り込む端から消える。
 どうなってんだとビビった私に、ウサギのお兄さんが教えてくれた。
「神々の汚物って、処理が面倒なんです。特に日本の神々の場合、川で目とか鼻洗っちゃうだけで新しい神様生まれちゃいますしね」
 …それ、三貴子の誕生ですよね。天照大神とか素戔嗚とか月読とか、生まれちゃったって事故か。
「なので、厠と風呂にはある種の結界を張り、維持することが義務付けられてるんです。消えたものは処理場に送られて、しかるべき処置をされたのち、廃棄されます。だから、千歳さんも厠に落ちたりしないでくださいね。問答無用で処理されますから」
「…肝に銘じておきます」
 なにこのせかいこわい。
 震え上がったところで、さっきのお姉さんが食事を持って来てくれた。
 そういえば、おなかすいた。
 自覚した途端、ぐーっと鳴ったおなかに気づかないふりをしてくれたウサギはいいウサギです。
「こちらに来てから、ずっと動きっぱなしでしたものね。冷めないうちに食べてください」
 居間のお膳に並べてくれたのは、炊き立てご飯に肉じゃが、川魚の塩焼き、青菜のお浸しに豆腐の味噌汁、お漬物。
 ありがたい…。
「いただきます」
 きちんと手を合わせて、いただきます。
「あー…このお味噌汁、おいしい」
 カツオ出汁が効いてて、味噌もコクがある。いい匂い。
「お口にあったようで何よりです」
 お兄さんは私の向かいでお茶を啜っている。
 食べないのかと聞いたら、真顔で「千歳さんにいただいたまくびてぃーで十分です」と言われました。どういうことだ。ダイエット女子か。
「こっちにも肉じゃが、あるんですねえ」
 ほっくほくのジャガイモを割ると、いい感じに味がしみた色合い。…このイモ、甘味が強くて美味い。普段、菓子以外は手抜きで生きてるから、家庭のお惣菜的ご飯が五臓六腑に染み渡るぜ。
「こちらに来た人間たちが、いろいろ伝えてくれましてね。なかには料理人もいましたから、食事は各支部の中でもかなり進んでいるほうだと思います」
「へー。あ、あの、あとで台所見せてもらってもいいですか」
「厨房ですか?」
 皮が絶妙なパリッパリ加減で焼きあがった魚をほぐしつつ、頷く。この魚、とっても身が外れやすい。
「お菓子…洋菓子を作るのに、この世界でどういうものが作れるのか、確かめたいんです。材料とか、調理器具とか」
「なるほど。なら、お食事が済んだらご案内しましょう」
「ありがとうございます」
 お米、おいしいなあ。御櫃を置いていってくれたから、お代わりしてもいいってことだよね…御櫃の脇にそっと添えてあるアレはやっぱり籠盛り生卵だよね…TKGある世界なら、異世界トリップしてもモウマンタイだ!
 ウサギさんが何も言わないのをいいことに、大ぶりのお茶碗三杯白米平らげて、おかずもかけらも残さず完食した。
 ごちそうさまでした!



 砂糖とはちみつ、卵。
 この世界で簡単に手に入る製菓材料だ。
 言い方を変えれば、これ以外のものって、なかなか手に入らない。
 どうしろと。

 たらふくごはんをいただいたあと、ウサギさんに連れてきてもらった厨房は、なかなか立派だった。イメージ、江戸時代だが。
 そこで料理人さんにご挨拶して、中を見せてもらうことにした。
 あのごはんを作ってくれた料理人さんにお礼を言いたいと言ったら、厨房長…板長みたいなものらしい…だという厳しい顔つきのおじ様が出てきたので、「人間なんぞが俺の聖域に踏み込んでくるな!」とか言われるかと息を呑んだんだけども、幸いそういうことはなかった。
 ウサギさんから話を聞いて、私をジロリと睨み、「どうぞ」と言われただけ。
「あの、ごはん、ありがとうございました。とても美味しかったです」
「ふん」
 うーむ。
 とりあえず追い出されなかったから、おとなしくしつつ、ガッツリ見せてもらおう。
 ここのひとたちは、皆、お揃いの白い調理服を着ていて、いかにも厨房! って感じがする。
 他にも見た目若い料理人さんたちがいて、胡散臭そうだったり、迷惑そうだったりな顔で私とウサギさんを遠巻きに眺めている。どちらかというと、非友好的な空気だ。
 でも、ウサギさんは気にした様子もなく、料理人さんの中でもちょっと落ち着いた感じのひとに声をかけた。
黄那 こうな、ちょっと」
「はい」
 手を拭き拭き寄ってきたのは、見た目、私と同じ歳くらいのお兄さん。
「彼女は千歳さん。渡ってきたひとで、今日から黒陽様の庇護を受けます」
「はあ」
 途端にじろじろ見られて、正直、気分はよくない。でもまあ、初っ端から敵を作る理由もないしな。
 少なくとも、今の私は彼の協力が必要だ。
「千歳さんは元の世界で菓子職人をしていてね」
「菓子職人?」
 彼の目がちょっと光った気がした。
「こちらでもそういった仕事を希望していて、まずはこの世界の食材や料理器具が見たいそうだ」
「へえ…でも、菓子の店なら、もうあるでしょう」
 え、そうなの? 
 驚いてウサギさんを見ると、彼は首を振った。
「ああいう揚げ菓子ではなく、西の神々が食べているようなものを作れるそうだ」
「西って、西洋菓子?」
 探るように訊かれて、頷いた。
「何作れんの?」
「それは材料を見ないと何とも」
「ふーん…」
「じゃあ、試しに何か作ってみろ」
 突然後ろから声がして振り返ると、さっきの厨房長さんが立っていた。
 威嚇してんのかってくらいの目つきで、私を見ている。いや、睨んでる。
 えー、何でこんな敵意バシバシなんだろ。やっぱ余所者を厨房に入れたくなかったとか、そういうの? と思ったんだけど。
「さっき、黒陽様が久方ぶりに食事を召し上がった。だが、それはお前の作る菓子を食べたいからだと言うではないか」
 …あ。
「我らの料理は、お前の菓子のために食される程度のものだということだ。さぞかし美味いのであろうよ。人間の小娘が作るものがいかほどのものか、見定めてやる」
亥黄 いこう
 ウサギのお兄さんがしかめっ面で諌めようとするのを、手を挙げて止めた。
 これは自分で対処しなきゃいけない話だ。
「仰ることはわかりました。差し出がましいことを言いまして、失礼いたしました」
 きっちりと頭をさげる。
 このひとが怒るのは当たり前だ。
 言ったときは無自覚だったとは言え、確かに私の言葉は、あんなにきちんとした料理を誠実に作っているひとに対して、とても無神経で無礼だ。
 これは間違いなく、私が悪い。
 だがな、おっさん。
 正当な怒りと、私にとっての理不尽な偏見をごった混ぜにされると、こっちも気分悪いんだ。
 頭を上げて、おっさんを真っ直ぐに見据える。
「とりあえず、ここにあるもので作ってみましょう」
「ほう。神々の食材で人間風情が料理するのか」
 侮蔑を隠しもしない視線に、ちょっとぷち、と音がした。
 私、性格緩いけど、導火線は短め。
 ついでに、上品に自分を装えるような、余裕のある人生は送っていない。
「ぐうの音も出ないくらい美味な菓子作ってやるから、人間への偏見いっぺん捨てて食ってみやがれ」
 瞬間、おっさんの顔が引きつり、ウサギさんの顔が盛大に歪んだ。
 ケッ。



「甘味料は何を使ってるんです?」
「砂糖とはちみつ」
「鶏卵はありますよね」
「ああ」
「粉関係は?」
「こな…って片栗粉、上新粉と葛粉?」
「小麦を挽いたものは?」
「あー…こっちじゃあまり使わないなあ。ないことはないけど」
「ふむ。牛乳は?」
「ぎゅ、にゅ?」
「牛の乳」
「…そんなもん、食うのか?」
 見るからに引いたお兄さん、黄那を横目で見る。
「日本にだって、蘇があるでしょうが。飲用だって、飛鳥時代には始まってたんだから。なんでそこんとこ、退化してんのよ」
 かなり雑な口調だが、私、ちょっと感情の糸が数本切れちゃっている。
 料理人としてかなり無神経だった自分と、人間だという自分ではどうしようもないことに向けられる侮蔑への怒りだ。
 でも、考えるまでもなく、わかってることだったんだけどさ。
 事務局でおじさんも言ってたじゃないか。人間は神に劣る存在だってのが大前提だって。だから、ダラダラ三食おやつ昼寝付きの生活でも文句言われないって。
 それって、要はものの数にも入らないって言われてんのと一緒だ。
 バカにすんのも大概しろよ。
 そんな憤懣を抱えながら、ウサギさんから命令されて渋々手伝い役になってくれた黄那を引き連れ、厨房内を見て回った。
 で、とりあえず、製菓に使えそうなものが、砂糖とはちみつ、卵だけ。あと、冬の名残りだという硬いリンゴがいくつか。
 …これで何作れってんだ。
 啖呵切った手前、言えないが。
 しっかし、小麦粉と牛乳がないのが辛いなあ。牛乳がないってことは、生クリームとかバターもたぶん期待できない。
 お狐さまやウサギさんが言ってた菓子不足って、材料の貧しさも原因なんじゃないのか。
 それにしても、どうしたもんか…………あ、そうだ。
 少し離れたところから心配そうにこっちを見ているウサギさんと、厳しい目を向けてくるおっさんを極力視界に入れないようにして、黄那に「この世界、豆腐はあるよね?」と訊いた。
「それはもちろん」
「じゃあ、豆乳もあるよね?」
「あるけど、豆腐、作るのか?」
「いんや」
 よし、なんとかなりそうだ。
 安心と、菓子作りの楽しさに、にんまりと笑った。



 ここの豆乳は私が知ってるものより、ずっと「粗い」。
 豆腐を作るために大概擂り潰して、布漉ししているはずなんだけど、味噌汁に入っていた豆腐からすると、きぬごし豆腐のようななめらかでやわらかいものはないのかもしれない。あれは、木綿だとしても硬くて粒子が荒かった。
 だから、まずは目の細かい布で漉すところから始めた。でも、旨味を漉しとっちゃ意味ないから、残ったおからを更にすり鉢で根気よく擦って、戻して、また漉してと繰り返し、なんとか納得のいく豆乳にする。
 次に卵。自分で食べて知ってたことだけど、余裕で黄身が摘めるくらいに新鮮で味が濃いから、これは助かる。これもきちんとカラザを取り、白身と黄身が完全に混ざり合うまで攪拌する。でも、ガチャガチャやっちゃ意味がないから、箸を三本握りしめて、ひたすらに卵液の中を往復させた。
 茶色味を帯びた砂糖は、舐めるとミネラル分が感じられる。…これだと、ちょっと味の邪魔になるな。
「黄那、白い砂糖、ある?」
 じっと私の手元を見つめていた黄那は、「ああ、これ」と小さい壺を出してきた。その扱いから、この世界でははちみつより上白糖のほうが価値があるんだろう、とわかる。考えて、当初の予定より砂糖を減らし、はちみつの割合を増やした。
 砂糖とはちみつ、卵液を豆乳と合わせてよく混ぜたものを、茶碗蒸しの容器に漉しながら流し入れた。
 加熱は、考えた末に湯煎にした。
 竃に鍋をかけ、湯を沸かす。湯量を調整したあとで、黄那に頼んでとろ火くらいの温度を維持できるようにしてもらい、鍋の中に紙で蓋をした容器を入れて、蓋をした。
 様子を見つつ、リンゴを剥いて分厚めのいちょう切りにする。でっかい赤銅の卵焼き器にリンゴを並べて、さっきケチった上白糖をたっぷりかけた。炭台で砂糖を溶かし、焦げ目をつけていく。
 本当はバターで仕上げをしたいんだけど、ないものは仕方ない。せめてコクを出すために、刷毛でさっと胡麻油を塗る。これ、うちの店の人気商品、アップルパイの隠し味。塗りすぎるとナムルなリンゴになるけどな!
 仕上げに、肉桂の粉末を控えめに振りかけて、できあがり。
 鍋のほうもいい感じだ。
 うむ、完成。


「豆乳のプリン、カラメルリンゴ添えです」
 見た目、茶碗蒸しなプリンを各々の前に置いた。小皿にははちみつで味付けした、即席リンゴの砂糖炒め。
 劇的な発明とかではなく、牛乳を豆乳で代用したプリンを作ったのだ。
 こだわりポイントのとろとろ加減を出すために、死ぬほど神経使ったけどね!
 蒸し器が竃で火加減わからなさすぎるから、湯煎鍋で時間かけたしね!
 カラメルリンゴも、シャクシャク食感とカリッカリ焦がし砂糖の風味のバランス、吟味したよ!
 ともかく、結構自信作な豆乳プリン。
 厨房の隅にあるテーブルにおっさんを始めとする料理人さんとウサギさんが座り、私は立ったまま様子を見守る。
 おっさんは蓋を取るなり、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「なんだ、ただの茶碗蒸しじゃないか」
 うっせえ、おっさん。食ってから言え。
「いいから、食べてください。話はそれから」
 あからさまに不審げな顔をしている料理人たちの中で、作るのを手伝ってくれた黄那とウサギさんだけが、興味津々な様子で木匙を手に取った。
「いただきます」
「はい、どうぞ」
 ひと掬いして、くんくんと匂いを嗅ぎ、口に入れる。
 瞬間、ウサギさんの頭と黄那の頭から何かが出た。
「っ…みみ!」
 ウサギさんの頭からウサギの耳が出ている。…日本語が妙。
 黄那の耳…あれ、なんの耳だろ…ちっさくて丸っこい…どっかで見たことあるんだけど…
「美味しい…」
「すげえ…なにこれ」
 ふたりして、耳をぴくぴくさせてうっとりと呟く。
 おう、とりあえず成功だな。味見はしたけど、こっちのひとたちの口に合うかは別だもんねえ。
 こっそり胸をなで下ろす私をよそに、ふたりの様子で警戒心が解けたらしい料理人たちがプリンに口をつける。
「おお…美味い」
「なんだ、この食感。茶碗蒸しとも葛餅とも違うぞ」
「豆乳の味がするけど、卵とはちみつが入ってるんだな。こんな組み合わせ、美味くなるなんて思わなかった」
 うん、反応は上々。
「あの、その小皿のリンゴと一緒に食べると、また感じが変わるので試してみてください」
「これ?」
 一番(見た目が)若そうな料理人さんが真っ先に手をつける。
 一切れ口に放り込んだ途端。
 ボヒュン、と音がして姿が消えた。
 いや、小さくなって見えなくなった。
「うっまーい!」
 テーブルの下から声がする。
 ウサギかな? と思いつつ覗き込んで、びっくり。
「…イタチ?」
 胴長短足、ふさふさしっぽが可愛いイタチが、後ろ脚で立って、ちんまりした耳をぴくぴくさせていた。
「おい、戻ってるぞ」
 黄那が木匙を振って指摘すると、きょときょとと自分の身体を見下ろす。
「ありゃ。リンゴに感動して、つい戻っちまった。でも黄那、お前も耳出てるぞ」
「ん? おお、しまった」
 掌で頭を撫でると耳が消える。あれ、イタチの耳だったのか。
 こちらは長い耳が出たままのウサギさんが、「厨房はイタチの一族に任せているんですよ」と教えてくれる。
「これもうっまいなあ」
「すごく香ばしい。硬いリンゴでも、こうすると美味くなるんだ」
「この…ぷりん? と食べると、なんか口当たりが優しい。俺、こっちのほうが好き」
 イタチに戻った彼は、テーブルに乗っかって、茶わん蒸しの容器に頭を突っ込んでいる。可愛い。
 舐めつくすように平らげる若いひとたちをよそに、おっさんは黙々と匙を口に運んでいる。
 見ていると、無言でプリンを食べ、リンゴも一切れ残らず平らげた。
 全員が食べ終わるのを見計らって、声をかける。
「いかがでしたか?」
「「「美味かったです!」」」
「それは何より。お粗末様でした」
 ぺこりとお辞儀をすると、なぜか拍手された。
 ガタッと音がして、おっさんが立ち上がる。何か言われるのかと思ったら、私をひと睨みして、立ち去ってしまった。
「…ダメだったんですかね」
 呟くと、黄那が苦笑いする。
「違うよ。あれは悔しいだけ。これ、ぷりん? すっげえ美味かったもん」
「だな。…悪かったな。黒陽様が久しぶりに食事をされたと思ったら、お前さんの菓子がこれで食えるーって喜んでいらっしゃるの見ちまって、八つ当たりだ」
 年かさ(に見える)の料理人さんも慰めるように言ってくれるけど、私はすっきりしない。
 よく考えてみれば、喧嘩売られて買っちゃっただけだもんな。解決はしないよな。
 それに、私、おっさんのご飯、美味しかったんだ。
 肉じゃが、とっても丁寧に野菜と肉の下処理がしてあったし、焼き魚だって飾り塩で綺麗に見せるだけじゃなくて、隠し包丁が入っていて、子どもでも食べやすいようにしてあった。
 あんなふうに、食べる相手のことを考えて料理できるおっさんなんだよな。お狐さまの食事だって、毎回きちんと心を込めて作っていたんだろう。それを、私の菓子が食いたいから食うって……ちょっと待て。
 私も無神経だが、そもそもお狐さまがちゃんと食べないのが悪いんじゃないか? てか、いい大人っつーか神様が食べ物粗末にするって、ダメだろ。
「もったいないお化けって、神様のとこにも来るのかな…」
 呟いたとき。
「おい」
「え、あれ」
 おっさんが戻ってきた。
 相変わらずの仏頂面で、手に何か持っている。
「何が足りない」
「え?」
 出し抜けに何か言われて、意味が掴めない。
 でも、おっさんはどっかりと椅子に座り、空のプリンの容器を脇にどけ、持っていたものをテーブルに乗せた。大判の本のようだ。
「ここには菓子を作る材料がないんだろう。何があれば、美味い菓子が作れる」
 目を瞬かせる私に目もくれず、ページをめくる。
「えーと?」
「料理人には料理人同士、横のつながりがある。食材の調達も、ある程度は力になってくれる。お前、ずっと材料を漁りながら首を傾げていただろう。何が足りない」
「…材料、取り寄せてもらえるってことですか?」
「お前のためじゃない。黒陽様に美味いものを召し上がっていただくためだ」
 ウサギさんがくすりと笑う。
「亥黄も黒陽様に拾われたクチでね。忠誠心はかなりのものなんですよ」
「はあ…」
 あのお狐さま、収集癖でもあるんか。落ちてる生物の。
「うるさい、白影。で、お前、さっさと言え」
 ギロリと睨まれて、慌てて思いつくままに挙げていく。
「まずは牛乳。それから生クリームとバター。あと、小麦粉は強力粉と薄力粉が揃えば助かります。それから香料。当座はバニラビーンズだけで十分です。あ、洋酒も。ラムとウィスキー、コアントローがあれば是非。あとは」
「ちょっと待て」
 ん? おっさんと料理人たちが目を白黒させている。
「なんですか」
「さっぱりわからん」
「え?」
「なま…栗? ばたーとはなんだ。小麦粉はわかるが、ば、ば…」
「バニラビーンズ?」
「ああ。それは食物の名前なのか」
 …マジか。
 いや、でも不思議なことじゃないな。
 さっき見た限りじゃ、ここにあるのはあくまで和食の食材だ。ウサギさんが料理人が迷い込んだことがあるって言ってたけど、たぶん和食関係のひとだったんだろう。そもそも、何時代のひとかもわかんないし。
「ええと、原材料から説明すれば、取り寄せ先とか見当つきますかね」
「そうだな…あるいは、この宮で作ってしまうかだが」
「いやーそれは結構無謀じゃないかと」
 牛乳からとれる生クリームの割合を知ったとき、目眩がしたもんね。バターなんて、気が遠くなる。
「同じ苦労するなら、作ってるところを見つけたほうが得るものは大きいと思います。どんな料理でもそうだと思いますが、どれだけ料理人が工夫を凝らしても、素材が悪すぎたり、決定的に不足しているとどうにもなりません。美味しいものを作るには、当たり前ですけど良い品質のもの最低限量は使わないと」
「そうか」
 反対されるかと思ったけど、おっさんはあっさり頷いて、「それじゃ、原材料の説明から頼む」と言って、メモ帳とペンを取り出した。…ここでも筆とかじゃないのか。
 私が知っているだけの知識を絞り出して、欲しい食材の種類と状態を説明し、おっさんがメモを取る。ときどき、質問されて、それにも必死で答える。それを繰り返しているうちに、夕飯の支度が始まったようだった。
 料理人さんたちが粗方持ち場に戻ったタイミングで、「大体わかったと思う」とおっさんが頷いた。
「今日明日にとはいかんが、できるだけ早く揃えられるよう手配してみよう」
「お願いします。あと、できれば、なんですが」
「なんだ」
 さすがに都合よすぎるかなーと思いつつ、言うのはタダだと開き直る。
 どうしてだか、ちょっとおっさんの態度が軟化してるっぽいしな。
「製菓に必要な食材を安定供給してもらえるよう、お願いしてもらえないでしょうか」
 おっさんが片眉を跳ねあげた。
 ふざけんなと言われるかなーと覚悟したんだけども、「それはお前の仕事のためか」と聞かれただけだった。
「ええ。はじめはお狐さまやここの神様たちに食べてもらって、様子を見ます。この世界のひとたちの味覚と嗜好に合いそうなものがわかってきたら、商品を開発して、試作して、改良して、何らかの形で商業化したいなと」
「ふん。…小娘だが、そういったことは考えているのか」
 言い方はアレだけど、はじめのような侮蔑の響きはない。
 一蹴されなかったことに、内心ホッとした。
「神様たちの時間軸とは違うんでしょうけど、これでも生まれたときから菓子屋の娘ですから」
「お前、歳はいくつだ」
「二十五です。今の日本人の平均寿命から考えたら、だいたい人生の四分の一強、生きてますね」
 途端に、おっさんと、それまで横で静観していたウサギさんが「二十五…?」と呟いた。
「だから、この世界のひとたちとは時間の流れが違うんですって」
「それはわかっている。さっきの黄那が、この世界の感覚だとお前と同年代になるんだが…」
「黄那が老けてるのか、千歳さんが若く見えるのかって話です」
「ああ。確かに、童顔って言われてますね。化粧とかしませんし」
 なんだ、神様でもそういうの気になるのか。意外。
 そのとき、不意に着ているパーカーが下に引っ張られた。見ると、さっきイタチに戻ったイタチさんが前足でパーカーにぶら下がっていた。君、仕事はいいのか?
「えーと?」
「俺、 央黄おうき。あんたは?」
「ち、とせ、です」
 危ない、本名言いかけた。
「ちとせ」
 丸くて黒い鼻をぴくぴくさせて、小首を傾げる。…あかん、なんやねん、ここ。どんなもふもふパラダイスやねん。
 短い後ろ足がジタジタしているから、手を伸ばして掬い上げると、腕にひしっとしがみついた。そのまま、するするっと肩まで登ってしまう。
 どうしよう、いきなり夢がひとつ叶ってしまった。ナウ○カみたいに、小動物を肩に乗っけるって夢!
「ぷりん、美味かった」
「ありがとう」
「あのな、俺も、ぷりん、作りたい。教えてくれ」
 これまた唐突だな。
「央黄」
 ひっくい声でおっさんが唸った。
 しまった、イタチのかわいさにヤラれてうっかり忘れてた。
 でも、イタチさんは丸い目をくりくりさせるだけだ。
「お前、まだまだ半人前のくせに、何言ってるんだ」
「でもとーちゃん」
 親父か!
「俺も、黒陽様においしい菓子、作って差し上げたい!」
「馬鹿野郎! てめえ、イモの皮も満足に剥けないのに寝言言ってんじゃねえ!」
 おっさんの怒号が響いたと同時に、耳元を何かがかすめていった。
 うん?
 振り返ると、後ろに積んであった笊がまっぷたつ。
 ついでにイタチさんも私の肩から転がり落ちていた。
「っぶねえなあっ。胴体、割れたらどーすんだよ!」
「鎌鼬に切られた鎌鼬なんざ聞いたことねえわ!」
「俺、包丁で指切るんだぞ! 親父の鎌だって喰らうっつーの!」
 床の上でバタバタしてから飛び上がったイタチさんと、おっさんが真っ向から怒鳴り合い。
 そうか、イタチって鎌鼬か…でも鎌鼬って神様なのか? 妖怪っぽいんだけど。
 首を傾げる私の肩を、ウサギさんが突く。
「今のうちに退散してしまいましょう」
「え、でも…」
「こうなったら、暫くは収まりませんから。食材のことは、あとで私から念押ししておきますから大丈夫ですよ」
「はあ」
 そうじゃなくて、きちんと頭下げてお願いしたかったんだけどな。
 でも、確かにふたりとも、それどころじゃなさそう。
 仕方ない、日を改めるか。
 頷いて立ち上がり、黄那やほかの料理人さんに挨拶して、厨房をあとにした。



 厨房訪問のあと、離れに戻ると、事務局から「難民楽々セット」が届いていた。
 説明書によると、私のは「基本セット」だそうだ。
 衣類と当座の生活費、そしてこの世界の概説書。
 私のように、迷い込んだ瞬間にどこかの神様の保護を受けて、面倒を見てもらえる人間は、基本的にその神様が諸々負担してくれるのだそうだ。
 でも、神様ってどうやって収入得てるんだろうと不思議になって、概説書を漁った結果。
 驚きの事実判明。
 この世界、基本的な社会構造って、封建領主制。
 力が強い神様ほど支配領域が広い。上位の神様はいわゆる領地運営で食ってるんだって。
 じゃあ、お狐さまは? と思ったら、そこんとこは書いてなかった。注意書きに「神々の位置づけは各々の主観による部分が強く影響しており、三貴子様を除く神々については、明文化が困難云々」。…深く考えるのはよそう。
 ただ、事務局からのお手紙に、「天狐様なら、人間百人面倒見ても三千年は屁でもないのでモウマンタイ」みたいなことが書いてあった。そうか。
 雀のお宿でもらえそうな葛籠の中身を漁っていたら、「お食事前のお茶をお持ちいたしました」と昼間にもお世話になったお姉さんがいらっしゃった。
 この方も、すっごい美人さん。北川〇子を更にグレードアップさせたような美女なんだけども。私、初めてお会いしたとき、見惚れて椅子に座り損ねそうになったんだけども…!
「千歳様? 何をなさっておいで…まあ、それ、難民楽々セット?」
 居間の畳に座り込んでいた私の横に来て、一緒に中を覗き込む。
 いや、それよりも。
「あのー、私、ただの人間なので様付けしていただかなくても」
「でも、黒陽様が庇護なさるんですもの。お傍仕えの私なんかより、お立場、上ですよ」
 どういう理屈だ。
「はあ。でも、なんか…」
「それより! ダメですね」
「え、何が」
 唐突なダメ出しに目を白黒させる。
 お姉さんは、お盆をお膳に載せて、「それです」と葛籠を指差した。
「千歳様、まだまだお若いのに、そんなだっさいの! 下着だって、もっと肌触りがいいものがあるんですよ」
「いやーでも、難民なので着るものとお金、いただけるだけで十分ですよ? 住むところだって、こんな立派なところを準備してもらって、美味しいごはんまでいただけて」
「何を仰るんです。天狐様なんて、稼ぐだけ稼いで全然使わないから、お金だけは持ってるんですよ! 同じくらいの地位の神々なんて、飲むわ打つわ貢ぐわで、稼ぐハシから消えていくっていうのに」
「だからって、私が使うってのは道理に合わないかと」
 ただの居候ですから。
「千歳様」
「はい」
 ビシッと呼ばれて、背筋が伸びた。真顔の美女、怖い。
「黒陽様って、女っ気、ゼロなんですよ」
「はあ」
「本性が動物の神々って、大概本能が優勢で、好みの女と見るや食おうとするってのに、あの狐、どこのジジイかってくらい、枯れてる」
「…はあ」
「でも、この宮って、女官もちゃんといましてね」
「宮って?」
 そういや、事務局でウサギさんもなんか言ってたな。
「神格の高い神々は、住処として霊山と神宮かみのみやをお持ちなんです。ここは、澪英山にある豊晶宮」
「なるほど」
「普通、黒陽様くらいの方になると、御正妻とか御側室をお持ちになるんですが、この宮ができてから、一度もそういった方がいらっしゃったことがないんですよ」
「生涯独身主義とか?」
「ひたすらに面倒くさいだけらしいですよ、狐のくせに」
 狐って精力絶倫な動物だっけ…?
 首を傾げた私の手を、お姉さんがいきなりガシッと引っ掴んだ。
「なので!」
「はいっ」
「宮の女官一同、今朝から狂喜乱舞で手薬煉引いております」
「なにゆえ」
「そりゃー黒陽様が直々にお連れになって、庇護なさるお嬢様を、我らの威信にかけて磨き上げ、神界一の美姫にするという計画ゆえに」
「謹んで辞退申し上げ、」
「拒否権はない」
「いやでもしかし、さっきも言いましたが、私、ただの人間ですから。おねーさんみたいな天然美人がわんさか転がってそうなこの世界で、平凡の代表みたいな顔で胴長短足が標準な日本人でしかない私がどんだけ何をどうしたって、無駄」
「なせばなる」
「ならんっつーの。大体、神様にお世話していただくってだけで、一人間は心苦しいんですよ」
 正直、お狐さまかウサギさんにお願いして、自分の世話は自分でするから世話係とかつけないでもらおうと考えていたりする。
 北〇景子五十倍美人に、温泉入ってる平たい顔族のモブが世話されるって、どんなコメディだ。
 でも、お姉さんは「ああ、それなら気にしなくていいですよ」と笑った。
「黒陽様と白影様は神格をお持ちですけど、私たち一般の宮勤めは、ただの仙ですから」
「せん? って何ですか」
「長い時を生きながらえた動植物が、何かのきっかけで霊力を得ることがあって、そういうのの総称です」
「もしかして、厨房のいたちさんとかも?」
「彼らはちょっと違いますね。元々が妖怪で、黒陽様に保護されて、神力を分けていただいたので」
 いろいろあるんだなあ。
 奥が深い、と感心する私に、「だから、気にしなくて大丈夫」と言葉を重ねる。
 でも、居心地、悪い。
 私、高校に入る前に両親を事故でなくしていて、基本的にひとりで生きてきたのだ。だから、自分の生活空間に他人がいる、というのも、誰かの手を自分のために煩わせる、というのも、結構辛い。
 よっぽど気乗りのしない顔をしているのだろう、お姉さんは何か考え込んで、ハタと手を打った。
「千歳様」
「様付けは、」
「毛皮、お好きだそうですね」
「はい?」
「黒陽様も、白影様も、上等な毛皮をお持ちですが、私もなかなかのものだと思うんですよね」
 言うなり、ぼひゅんと音がした。
「!!!」
 畳の上にカワウソによく似た、中型犬くらいの動物が。
「いかがです?」
 頭の前面についた、小さい耳をぴくぴくさせる。小さい鼻が可愛い!
「…まさか、お姉さん、ミンク?」
「はい。原産地は日本じゃないんですけど、黒陽様の領地は動物の仙が多いって聞いて、移住してきたクチです」
「でも、おっきい!」
「そのほうが、触り心地、楽しめるかと思いまして」
「気遣いが最高!」
 膝に乗ってきてくれたミンク様をきゅーと抱っこ。
「うわ…なに、この毛皮…」
「よいでしょ、よいでしょ」
「すっごい良いです…!」
 さすが、最高級毛皮の代表格。
 なめらかでふわふわで、何とも言えないこの手触り!
「お世話させていただけるなら、お好きなだけ、撫でて触って抱っこしていいですよ」
「おなか、もふもふしてもいいですか」
「お昼寝にもおつき合いいたします」
「お世話、よろしくお願いいたします!」
 ああもう、チョロいと言うなら言え! ミンク様にお世話されながらもふもふできるなら死んでもいいわ! こんちくしょう、本気でパラダイスだ!


 ミンク様、お名前を朱凛しゅりんさんと仰るそうで。
「千歳様、撫でるのお上手ですね~」
 お世辞ではないらしく、うっとりと目を細めているミンク様をもふっていたら、別のお姉さんが夕飯を持ってきてくださった。この方も、本性、ミンク様だそうだ。…堪らん。
 人型に戻った朱凛さんに給仕していただきながら、新鮮お刺身の盛り合わせが死ぬほど美味いご飯をいただく。
 夕飯は、鯛と細魚、烏賊のお刺身と胡麻豆腐、里芋のあんかけ、アラの澄まし汁。もちろん、ほかほかご飯。…ありがとう…ありがとう、おっさん。ちょっと偏見持たれてたくらいでキレてごめんよ。刺身と一緒のワカメ、なんでこんなに旨いんだ、信じられん。
 朱凛さんに色とか服とかの好みを訊かれて答えたり、ちょっと恋バナめいた話をしたりして、楽しくごはんをいただいた。あと、お仕事だとわかっているけど、もしできるなら、一緒にお茶くらいは飲んでほしいとお願いした。ひとりきりの食事は慣れているけど、何も食べないひとと同席するのは、どうしても心苦しいのだと。
 朱凛さんはちょっと考えて、ウサギさんに聞いてみると言ってくれた。ありがとう。怒られたら、ちゃんと私からフォローしよう。…ビスケット、作っておくか。
 大満足で食事を終えてから、お風呂。
 私ひとりにはもったいないくらいの立派な檜風呂、なんだけども。
 問答無用で、髪と身体、磨き倒されました。

「千歳様! どうしてこんなに髪がキシキシなの!」
「えーと、様はつけないでお願い…」
「肌も微妙にかっさかさ! 職人だから、手が荒れてるのは仕方ないけど、それだってもうちょっと気を遣いなさい。女の子なんだから」
「気をつけてもたかが知れ…」
「今日から徹底的に私が磨き上げるからね。目指すは、仕事もできて、美しい職人よー!」

 話を聞かない美女ってすごい。平凡、何も言えない。
 人格と話し方まで変わってるしな。
 お言葉通り、風呂から上がったあとも、いろんなものを身体中に塗りこまれ、塩もみきゅうりに勝ったと言えるくらいあちこち揉まれました。しおしおです。
 あとはもう寝るだけ。寝るしかない。眠い。
 浴衣みたいなガウンみたいな寝間着を着て、ベッドに倒れこむ。 
 あ、この枕の硬さ、いい感じ、と思ったのを最後にブラックアウトした。


 なんか、すっごい気持ちいい。
 あったかくて、ふわふわでさらさら。
 手を動かしても、足を動かしても、首を振っても気持ちいい。
 気持ちよすぎて、寝てらんない。
 ものすごく幸せな気分で目を開ける。
 まだ夜なのか、真っ暗だ。
 でも、この夜、なんだかすっごくツヤッツヤ…。
「起きたか」
 腰が痺れるような低音ボイス。
 ん…?
「おきつね、さま?」
 ざわりと目の前の漆黒が動いたと思ったら、目の前にふたつの満月。
「もう、朝?」
「いや、まだ夜は明けぬ」
「ふー…ん。じゃあ、なにか、ありました?」
 ダメ、まだ眠い。
 うとうとしそうになるのを堪えて目を開ける。
「菓子を作ったそうだな」
「かし…ぷりん?」
「ああ。白影が散々自慢していきおった。何故、我の分がないのだ」
「…おきつねさま、いなかった、から」
「ずっと仕事をしておったのだ!」
「んー…しごと、さぼってたから、でしょ」
 ぐっと黙り込んだ黒狐の顔を見ているうちに、昼間感じたむかつきが蘇ってきた。
「だいたいですね、おきつねさまがわるいんです」
「なに?」
「ちゃんとごはんたべないし、おかしたべるためにごはんたべるとかへーきでゆーし。おっさんも、こーなも、いたちさんも、いっしょーけんめーごはん、つくってるのに。このぜいたくきつね」
 家に帰ってホカホカごはんがあるありがたみがわからないなんて、とんだ罰当たりだ。
「みんな、おきつねさまにおいしーもの、たべてもらいたいってがんばってるのにさいてー。そんなきつねにくわせるぷりんはない」
 へにょ、とひげを下げて、でも不満げ。狐って、意外に表情豊かだな。
「我は野菜は好かぬのだ。だが皆して、野菜を食えと言うから」
「おきつねさまのけんこー、しんぱいしてるんでしょー。かみさまにかんけいあるかしらないけど。どっちにしても、すききらいするきつねにぷりんはあげない」
 それにいい加減眠い。
 寝返りを打って、お狐さまに背を向ける。
 でも、しつこい。
「娘っこー、娘っこ―。我にもぷりん、おくれー」
 鬱陶しくて、後ろ手で背中を押してくるものを叩き落とす。
「ぎゃんっ」
 …どうやら鼻ヅラ、殴ったらしい。急所だな。
「ひどいー…我もぷりん、たべたいのにい」
 あーもう、めんどくせえきつねだな。
 がばっと起き上がって、布団の上で鼻を抑えている狐を睨みつけた。かわええ。でもウザい。
「おきつねさま、よるはねるじかんです」
「知っておる」
「なら、ねろ」
「でも、ぷり…」
「うるさい」
 ガバッとでかい鼻づらを抑え込んだ。
「ふがっ」
「ステイ」
「すて…?」
「おとなしくねろってことです。わたしはねます。こんどおこしたら、うさぎさんにこうけんおねがいして、おきつねさまはおことわりする」
 今度こそ、ぐっと黙り込んで沈黙した狐に満足して、睡魔に身を任せた。
 くそう、眠い。



 眩しい。
 目を開けると、窓から差し込む光が見えた。
 朝か。
 んー、よく寝た。
 ぐうっと伸びをしようとして、何かが身体に巻きついているのに気づいた。
 んん?
 胸元を見下ろし……………
 なんでお狐さま(人型)が私の胸に顔突っ込んで寝てるんですかね。
 幸い、標準サイズのバストなので、横向きに寝ると谷間らしきもんができるんですよ。そんで、そのささやかな谷間に、朝陽より眩しい美形様が綺麗な鼻筋押し当てていらっしゃる。
 えーと………とりあえず、起こすか。
「お狐さま、お狐さま」
 肩を掴んで揺さぶり…なんでこいつ裸なんだ。
「う、ん」
 うっすらと目を開けた美形様は、見下ろす私と目が合うと、平然と「おはよう」とのたまった。
「おはようございますなんで人型のお狐さまと寝ててあんた裸なんだ」
 ノンブレスで言い切るが、動じない。
「昨夜のこと、覚えておらんか?」
「昨夜?」
 記憶を探り、夜中に真っ黒狐と何か話したことを思い出した。
「そういえば、プリンがどうとか」
「それそれ。だが、夜は寝るものだと言うから。仕方なく、朝を待とうと思うたのだが、ちと計算外なことがあってな」
「計算外? てか、女の胸に顔埋めながら話すの、やめませんか」
「駄目だ」
 やたらきっぱり言い切ったかと思ったら、何故か視界が回った。
「…え」
 美形が真上にいる。
 私、なんでか美形に押し倒されて、結構本気で押さえつけられていた。
 どういう状況だ、これ。
 混乱する私に、お狐さまは目が笑っていない笑みを向ける。
「我は言うたな。我をそなたの後見にしないかと」
「ええ、まあ」
「我はこう見えて、数千年の時を経ている」
「はあ」
「その間、人間に出会ったことは一度や二度ではない」
「そうですか」
「だが、そなたほど我の興味を引いた人間はおらなんだ」
「それ、私が菓子職人だからでしょ」
「菓子職人なら、他にもおった」
 え? 
 目を見張ると、お狐さまは、ふ、と笑った。
「今ほど、神々の世界が整理されてはおらなんだ時代だ。この世界とそなたらの世界は、時の流れが違う。『扉』から迷い込む人間は、様々な時間から渡ってくる。そなたが生きていた時代より、ずっと前、遥か先からもな。その中には、菓子作りを生業にしている人間が数人おったのよ」
「…どういう、こと? あなたも白影も、洋菓子が食べたいから私を拾ったんじゃなかったの」
 まさか、本当に食料ポジションなのか。
 睨み上げると、お狐さまは、何が気に食わないのか、不愉快げに眉を寄せた。
「我ではない男の名を呼ぶな」
「は?」
「そなたは良い匂いがする」
 …ちょっと、本当に食料扱いか。
 さすがに危機感を覚えて、手首を押さえている手を振り払おうと力を込めるが、びくともしない。
 なら、蹴り上げてやろうと膝を動かしたが、野性の勘か、脚を割られて身で押さえ込まれてしまった。
 そのおかげというか、そのせいで、自分もかなりあられもない格好であることに気づいた。
 そういえば、私、浴衣で寝て、帯だけになってなかったことってなかった!
 この世界、女性用下着ってあんまりないそうで、特に寝るときはつけないって…生理のときってどうするのか朱凛さんに聞いておこうってそれどころじゃなかった。
 要は、私、現在殆ど全裸なのだ。すっぽんぽん。
 さっきとは別の危機感がこみ上げてきて、全力で押し返す。
「暴れるな。無体なことはせぬ」
「せりふ、が、既に悪代官だっ」
 こっちは必死なのに、あっちは涼しい顔だ。
「そなたを拾ったのも、なんとも言えぬ匂いがして、引き寄せられたのだ。菓子が好きなのは事実だし、食えなかったこと自体も悔しいが、それより何より、昨夜、そなたから他の男どもの臭いがしたのが不快だった」
「他の男って、風呂、入ったし!」
「臭いというのは、神気と同義だ。湯で洗ったくらいでは落ちぬ。一度ついた臭いを消すには、こうするのが一番だ」
 言うなり、ひとの首筋を舐めあげた。
「やめ…っ」
「ならぬ。そなたは我のにおいだけつけていればいい」
 熱い舌が、首筋から鎖骨を滑る。
「眠っているそなたの身体は、やわらかくて、温うて、抱いているだけで堪らなかった。特に、この乳房のやわらかさ」
 大きな手が胸を揉む。腕は解放されているのに、その手つきが気持ちよくて、身体に力が入らない。
 いくらなんでも、この手のことで流されちゃダメだと思うんだけど! てか、さすがに流されたこと、ないんだけども!
「我は甘露が好物でな。そなたの肌も、甘い匂いがする」
「やあんっ」
 乳首に吸いつかれて、変な声が出た。え、え、え、こんな、気持ちいいもんなの!?
 ちゅくちゅくと音を立てて、硬くなったそれを舌で転がし、もう片方を手のひらと指で弄ぶ。この狐、枯れてるって大いなる誤解だっ。
「おき、つね、さまっ」
「黒陽だ」
 ちゅぷ、と音を立てて口を離し、身を起こした。
 私の頬に手を当てて、唇を開けさせる。
「我の通り名。呼んでごらん」
 大きな手が胸から腰をゆっくりと撫でる。開いた脚の付け根をツツッと辿られて、息が洩れた。
「千歳。黒陽だ」
「こく、よう」
「そう…いい子だ」
 笑った顔は、とんでもない色気が溢れていて、腰の奥が熱くなる。
 なんでこんなことになってるんだっけ。
 ふと冷静な思考が戻ってきたけど、迫ってきた唇に口を塞がれて、それどころでなくなってしまった。
 咄嗟に閉じかけた唇をついばまれ、歯を舌でなでられる。促すように顎のつけ根を指でさすられて、口を開けてしまった。
「ふあ…」
 ぎゅっと目を閉じると、入り込んできた舌に舌を舐められる。気持ち悪い、と思う間もなく、きゅっと吸い上げられて、腰がジン、と痺れた。
 ぬるぬるした舌が、口の中で動き回る。
「舌を出して」
「へ…」
 指が口に入り込んで、舌を摘まむ。引かれるまま、舌を伸ばすと、はむ、と食いつかれた。棒付きキャンディを舐めるみたいに、私の舌を甘噛みして、しゃぶる。ちゅくちゅく、ちゅるちゅるとやらしい音がする。頭に直接響いて、おかしくなりそうだ。
 散々舐め尽くして、くちゅ、と銀の糸を引きながら、セックスみたいなキスが終わった。
「そなたの舌は甘い」
 濡れた唇を舐めて、ニヤッと笑った。
 少し息が上がっている私の両脇に手をついて見下ろしてくる。
 いつの間にか、袖は通していたはずの寝間着もなく、私は勾玉だけをつけた姿を彼の前に晒していた。
「千歳が作る菓子も食べたいが、今は、そなた自身の甘露を味わい尽くしたい」
「かん、ろ?」
 疲れて舌がうまく回らない。
 見上げた先で、黒陽は長い黒髪を後ろに払いのけ、「我に全て任せておけばよい」と笑った。
「千歳、そなた、生娘であろう」
 なんでわかった。やっぱ慣れてなさすぎたか。
 口ごもる私の頬を撫でて、「匂いだ」と言う。
「また、におい?」
「我の本性は狐ゆえな。そなたの身体の奥からは、他者の臭いがせぬ」
「そ、ゆ、もの?」
「ああ。だから、我はまだそなたを抱けぬ。他者と交わったことのない処女おとめがいきなり神と交われば、器と魂が壊れるゆえ。その代わり、これから、我は毎夜、そなたの甘露を味あわせてもらおう。そなたが、我の神気に慣れ、身体に馴染むまで」
「かんろ、ってなに?」
 訊かなきゃよかった、と思ったときには、後の祭り。
「ここからあふれる蜜のことだ」
 言いながら、長い指が脚の間に入り込んだ。
「にゃあ!」
「ふふ、愛らしいな。ほら、口づけだけでもうこぼれている」
 とんでもない場所から、さっきよりずっと粘度の高い水音がする。
 自分の中に異物が入ってくる感覚に身体を強張らせると、身を倒してきた黒陽が「酷いことはせぬ」と囁いた。
「力を抜いてごらん。ほら、ここは悦かろう?」
 前の粒を指で押されて、身体がびくりと跳ねた。自分でしたことがないとは言わないけど、触ってもあんまり気持ちいいと思ったことがないのだ。むずむずする違和感のほうが強かった。
 そう訴えると、「慣れておらぬのだな」とやったら嬉しそうに言う。
「ならば、我がそなたに女の悦びを教えてやろう」
 いや、いいです、の「い」を言う前に、黒陽が身体をずらした。
 脚の間に彼の頭があって、さすがにぎょっとした。
「ちょ、やっ、なに…!」
「恥ずかしいなら、目を瞑っておいで」
 私の両腿を押さえつけ、割れ目に吸いついた。
「だめっ、やだああ!」
 声を上げて、彼の肩を殴っても、びくともしない。その間にも、肉厚な舌が割れ目を舐めあげ、舌先で粒をくりくりと弄る。
 ちゅぷ、ちゅ、と音を立てて、乳首を吸っていたときみたいに、肉芽を転がす。そうされると、だんだん甘い熱がじんわりと広がって、叩く手で彼の肩にすがるように掴まっていた。
「可愛らしいな。ぷっくりとふくらんできた」
「そ、なこと、言わなくて、い」
「だが、事実だ。ほら、皮を剥いて直に可愛がってやろう」
「ひゃっ」
 指先でくりっと押され、悲鳴を上げた。でも、それまでよりずっと強い刺激が来て、背が反った。
「きゃああっ」
 身体の奥から、何かがあふれる。
 黒陽は私の腿を抱え込むようにして、顔を埋めた。
 身体の中に、熱くてやわらかいものが入ってくる。それが彼の舌だと気づいたのは、ぴちゃぴちゃという水音が聞こえたときだった。
「こく、よ、なめてる、の」
「ああ。千歳の蜜は甘い。それに、いくらでもあふれてくる」
 ほら、と見せられた彼の指はぐっしょりと濡れて、てらてらと光っていた。
「これほど美味い甘露は味わったことがない」
 自分の手に舌を這わせる黒陽を見た瞬間、背筋がぞくりと震えた。こぷ、とまたあふれる。
 それを嬉しそうに眺め、「もったいない」と顔を埋める。
 蜜口をぞろりと舐めた舌が、ねっとりと差し込まれる感覚にため息が洩れた。
 中を探り、壁を撫で上げ、指で広げて、更に奥に入ってこようと唇をきつく押し当てる。
 どうしよう。
 すごく、きもちいい。
 なんでこんなことになったのか、よくわからないのに。
 わたし、黒陽に触られるの、全然、いやじゃない。
「千歳、腰が揺れているな」
「だ、て、きもち、い」
「そうか。なら、これはどうだ」
 口を手で拭った黒陽が、私に覆いかぶさる。ぎゅっと抱きしめられて、男のひとの硬い身体と体温に息が洩れる。
 散々濡れたあの部分に、熱くて硬いものが押し当てられて、思わず広い背中に爪を立てた。
「こく、よ…」
「まだ挿れはせぬ。だが、男の熱を少しだけ味わってごらん」
 耳元で甘く唆されて、自分から身体を押し付けた。
 大きな手がおしりを鷲掴みにする。
「千歳は尻もやわらかいな。乳房とは違う弾力で堪らぬ」
「あんっ」
 少し乱暴に揉みしだかれて、声が出た。でも、なんだか甘ったるくて自分の声じゃないみたいだ。
「ほら、入り口で感じてごらん。我の熱を」
 割れ目に押しつけられたものを、反射的に挟み込むようにして力を入れる。
 弄られて敏感になった粒が熱で擦られて、ぞくぞくするくらい気持ちいい。
「あっ、あっ、ねえ! ねえっ、へん、からだっ、へんなのっ」
 腰が戦慄く。
 黒陽の熱が、硬さが、割れ目を往復するごとに、どこか高いところへ連れて行かれるような気がする。
「いいから…っ好きなように、動いてみなさい」
 黒陽の声も、乱れて艶っぽい。
 ふと、鼻先を甘い匂いが掠めた。
 花みたいな、バニラみたいな、おいしそうで蕩けそうな匂い。
 ああ、どうしよう。
 身体が溶ける。
 彼の腰に脚を回して、胸も押し付ける。硬くなった乳首が、黒陽の胸に擦れて、気持ちいい。
「千歳っ」
「黒陽、あつい、あついの…っ」
 触れ合った下半身から、ぐちゅぐちゅ音がする。ぬるぬるしてて、彼の欲望の形がいやというほど、よくわかった。
 太くて、長くて、熱い。
 これが、身体のなかに入ってきたら、どんなふうになるんだろう。
 ふとそんな考えが頭の隅を過ぎった瞬間、入り口を彼の先端が浅く削り、肉芽をぐりっと刺激した。
「ああんっ」
 頭のなかが真っ白になる。
 つま先がぎゅっと丸くなって、割れ目がきゅーっとなったと思ったと同時に、何か熱いものが下腹に広がった。
 一層力強く抱きしめられて、抱き返して。
 ああ、達っちゃったんだ、と思った。
 


 次に目が覚めたときには、とっくにお日様は空高く上っていた。
 さっきとは違って、私が黒陽に抱きしめられているけども。
「目が覚めたか」
「…おきつねさま」
「戻ってしまったな」
 ふ、と笑って、私の髪を撫でる。
 なんだか身体が重だるい。…まあな、人生初のことが立て続けに起きすぎだわな。
 しかし、本当にどうしてこうなった。
 私、両親が死んでから、ケーキ一筋、仕事一筋で、男となんて手を繋いだこともない。ちょっとアレな男はいたけど、まともな恋愛的な意味で男が寄ってくることなんて皆無だったから、一生処女・死んだら妖精になっちゃうね☆って本気で思ってた。いや、まだギリギリ処女だけど。
 経験ないからわからなかっただけで、実はその辺の倫理観、ゆるっゆるだったとか? それか、無自覚なメンクイで、美形だし、気持ちいいからいっかーって思っちゃったとか? …どっちにしても、股緩そうで嫌だなあ。
 ため息をつくと、「苦情は受け付けぬぞ」と言われた。
「はい?」
「さっきも言ったが、そなたは我のものだ」
「そんなこと、言われてませんが」
「我以外の男の臭いはつけさせぬと言っただろう」
「でも、私、お店するつもりですし、そのためにはいろんな神様の協力仰がなきゃいけませんし」
「だから、毎夜、我のにおいをつける」
「…は?」
 なにいった、このきつね。
 眉間に皺を寄せて睨むが、どこ吹く風だ。
「それに、千歳の蜜は例えようもなく美味だ。そなたの作った菓子は他の男どもにも食わせてやらざるを得ぬのだから、そなたの蜜だけは我だけのものにする」
「え、ちょっとなに寝言…」
 飛び上がって文句を言おうとした瞬間。
 ぼひゅん、と男が狐になった。
 唖然とぴんぴんおひげを眺めていると、「毎日、もふらせてやると約束したからな」と。
「我の毛皮にくるまって、もふもふしながら寝とうはないか?」
 …くっ! なんでたった一日で、こんな狐に手玉に取られてるんだ、私!
 でも、もふもふの魅力には勝てない!
「…寝ます」
「うむ」
 腹が立つので、寝そべった狐を横向きに転がして、腹毛をベッドにすることにした。
「しっぽもこっちにください」
「…できれば握ってくれるな」
 ふっさふっさと動かすしっぽをむんずと引き寄せて、掛け布団替わりにする。
 生ぬるい笑みを浮かべた白兎と、いい笑顔の朱凛さんが起こしにくるまで、理想の毛皮を毛布にして惰眠を貪ったのだった。