私がここにいる理由
えー、ここどこ?
私、職場に向かってたはずなんだけど、なんで神社になんかいるんだろ。しかも、鳥居でっか。お社もでっか!そんでもって、周りは森だ。
…まて、ここ、本当に通勤路か(確実に間違い)。
私、天宮千代。
先日、さくっとクリスマスな年齢になった菓子職人だ。パティシエとかそんなご立派なもんじゃなく、町のケーキ屋さんで楽しくケーキ作って、プリン蒸して、チョコこねている。
今日も朝起きて、朝ごはんかっ食らって、家を出た。職場のケーキ屋までは、徒歩五分の距離。だから、迷うもクソもあったもんじゃない。
でも、私、絶対こんなとこ、知らないぞ。そもそも、私の住む町にはこんな自然はない。せいぜい児童公園の桜くらい。今の季節、満開です。
ちょっと途方に暮れて、腕時計を見る。
…すげ、針が三本、ぐるんぐるんしてる。
慌てて通勤用の斜め掛けバッグからスマホを取り出したけど、やっぱり圏外だった。
「どうしよう、遅刻する」
店長、怖いんだよ。私と五つしか違わないのに、貫禄だけは無駄にあってさあ。理不尽なことを言うひとじゃないけど、通勤途中に見知らぬ神社で迷子になって遅れたなんて言ったら、正座でメレンゲ十杯作らされる。そんで本日のサービス品がメレンゲケーキとクラシックショコラになる。
絶対零度の怒りをまとった店長を思い浮かべ、じわっと涙目になったとき。
「そなた、ひとの子か」
頭の後ろから、どえらいいい声がした。腰にくる声ってのか、こういうの。
一瞬でときめきつつ、振り返り…凍りついた。理由は簡単。
「おっきい狐!」
馬なんてもんじゃない、象くらいある、でっかい狐、しかも真っ黒! レアだ、レア狐!
スーパーデラックスサイズなお狐さまが、こっちを見下ろしていたのだ。
「…狐言うな」
「お狐さま!」
「おと様つければいいというものではない」
見上げた先で、三角の耳と…しっぽ! ちょうでっかくてふっかふかのしっぽ! なんか機嫌悪そうな顔してるけど、気にならないくらい興奮してる! だって、私、耳としっぽがついた毛皮着た動物が大好物! スマホなんて、お猫さまとお犬さまとコツメカワウソさまとレッサーパンダさまと(以下略)の写真と動画しかないもん! ケーキの写真? そんなもん、海馬に焼ごてするに決まってんだろってかあの店長の前で写メなんて撮ったらしばかれて生クリーム十杯作るの刑だ。
「あのっ」
「ん?」
「もふもふします!」
「は?」
「あとでいっくらでも怒られます! 死なないなら噛んでもいいです! だからお願い! その耳としっぽと魅惑の毛皮、もふらせてー!!!」
「え、お、あ、なにいいいいいいいい!?」
なんか叫んでるけど、気にならない。
巨大なお狐さまの首っ玉に飛び上がってしがみつき、極上の毛皮を上半身で堪能した。
…ああ、もう、死んでもいい…。
「ここは、神々の世界だ」
「そうですか」
「人間たちが崇める、ありとあらゆる神々がそれなりに秩序を保ちながら、暮らしている」
「ほうほう」
「そなたがおったのは、日本事務局の事務所前だ」
「ふむふむ」
「普段は、きっちり『扉』を閉めておるのだが、ときどき粗忽者が足で開け閉めして、オートロックがかからんときがあってな」
「ほーほー」
「ひとの子でも、こちらの空気に馴染めるものが、そういうときに通りかかると渡ってしまうのだ」
「ふんふん」
「…今までにも、何人か迷い込んだひとの子がおったが、そなたほど陽気なものはおらなんだわ」
呆れたようにため息をつくお狐さま。
その前足の間に収まって、サラサラツヤツヤもふもふな毛皮を堪能中の私。
首にしがみついて離れない私をぶら下げたまま、お狐さまは森の中に入っていき、大きな木の根元に落ち着いた。身体を少し丸めて地面に横になってくれたおかげで、ゆっくりもふれる。
「だって、私、もふもふフェチなんです」
「…それはなんだと聞きたいが、聞かないほうがよさそうだ。で、そなたを元の世界に返す方法だが」
「あ、はい」
少し我に返った。
いや、だって、もふってる間、お狐さまがいろいろ教えてくれたおかげで状況は飲み込んだけど、そこんとこはわかんないままだったからね。
「あるようでない」
「なんですか、それ」
「『扉』が開けば、元の場所に戻れるのだがな、いつ開くのか、さっぱりわからん」
「さっき、誰かが開けるとか言ってませんでしたか」
「開ける権限を持つものが誰か、知らんのだ。あれでも一応、この世界の重要機密でな、誰彼構わず開けられては、ひとの子が迷い込むわ、神々が好き勝手に遊びに行って戻らんわでえらいことになってしまう」
「なんか、さっきからかるーく聞き流してましたけど、神様軽くないですか」
「元々、享楽的なのが神よ。日本事務局に所属している神々はまだマシなほうだ。一年に一度、一月かけて会議するしな」
「ああ…出雲大社に大集合な…」
「それそれ。なのでなあ、我ではそなたを帰してやることができん」
申し訳ないと思っていらっさるのか、ちょっとピンピンおひげが下がって、耳も伏せ気味。…あかん、かわええ。まっくろ狐、ちょうらぶりー。
いや、しかし、今はちょっとモエーはしまっておこう。一応、ピンチっぽい。
お狐さまの脚の間に正座して、向き合う。ジーンズでよかった。でないとスネが大災害。
「いくつか質問してもよろしいですか」
「うむ」
「このまま、私、ここで暮らすとして、生活基盤とかどうなるんでしょう」
「日本事務局に難民申請すればよい。ひとの子であれば、すぐに難民認定されて、住居や仕事を世話してくれる」
「なるほど。私の前にこの世界に迷い込んだひとたちって、どんな感じの生活を?」
「そうさな…風呂屋の番頭とか」
「…ほう」
「事務局の経理課に就職して、そろばん弾いてたり」
「ふむ」
「楽器の演奏に長けたものは、しゅっちょうこんさーとなるものを提供して、神々の宴で大人気だ」
「なかなかアグレッシブに攻めていってんな」
「まあ、みんな、己が得意とするところを生かしておるよ」
「じゃあ、私はさしずめ菓子屋ですかね」
つーか、それしかできない。
「菓子? そなた、菓子職人か」
お狐さまの満月色の目がくりくりと動いた。
「ええまあ。ただ、餡子だの餅だのって菓子は無理です。スポンジ…はどうかな、カステラってわかります?」
「かすていら!」
お狐さまの耳としっぽが、ピン! と立った。お、喜んでる?
「ええ、カステラっぽいのに、ふわふわのクリーム挟んだり、サクサクのビスケットみたいな生地で、」
「びすきゅい!」
くわっと口が開いた。あれ、そういえば、話してるのに口は動いてなかったな。どうなってんだ。
首をかしげる私の前で、お狐さまはすっくと立ち上がった。おお、やっぱでかい。
「うちに来い!」
「うち?」
「我がそなたの後見になる!」
「後見…っているもんなんですか」
「別にいらぬが、いれば便利だ。なにしろ、後見になった神の神通力の一部を使うことができるからな」
「はあ…」
イマイチ、それのなにが便利なのか、よくわからん。神通力って、お狐さまって神様なのか。てことは、お稲荷さんか。てか、お狐さまの家って森の巣穴的な…それ、人間にはちと辛いかも。
あまり乗り気じゃないのを感じ取ったか、お狐さまは「それに…」と厳かに続けた。
「うちに来れば、我の毛皮、毎日もふり放題」
「乗った」
親指立てて、即決即答。
「よしっ。女に二言はないな? 我を後見人とするな?」
見るからにウキウキと舌舐めずり。…そういや、狐って肉食だったな。
「念のために聞いておきたいんですが、お狐さまを後見にして、私に不利益ってあったりします?」
「…そなた、幼いくせにしっかりしておるな」
幼いって歳じゃないが。あ、それとも神様基準だと赤ん坊同然ってか。
「契約関係は、事前確認が重要ってのは社会の常識ですよ」
「うむ。…不利益、なあ?」
ちょっと考え込んだけど、すぐに首をかしげた。…ダメだ、かわええ。
「眷属契約とは違うし、EU事務局の連中がするような使い魔契約でもないから、特に制限は受けぬな。神の庇護を受ける大義名分といったところか」
「それじゃあ、私にだけ旨味のある契約じゃないですか。なんか変」
「そう言われると…ああ、ひとつだけ、制限らしきものがある」
「それだ」
「だが、大したものではないぞ。後見を受けるものの能力…そなたの菓子作りの技術だな、その恩恵を真っ先に受ける権利があるのだ」
ちょっと考え込んでしまった。そんなんでいいの?
「つまり、私がお菓子作ったら、まずはお狐さまが食べるってことですか」
「ああ。尤も、これはそなたが嫌だと思ったら拒否もできるから、強制力はない」
「なんかよくわかんない話ですねえ」
でもまあ、私が考えたところでわからんな。
私、基本的にちょう楽観的。長いものには巻かれるし、流れに身をまかせるのも得意。
自分ってものがないのか! って喧嘩売ってくるひともときどきいるが、自分はある。伸るか反るかっていう自分な!
だって、どう考えても、私の手にあまるもの、この状況。
異世界トリップなんだろうけど、ファラオの正妃になるとか、帰るの目指しつつ皇帝の嫁になっちゃうとか、絶対私じゃ無理。魔王倒すとか、世界を救う系のことも遠慮しとく。私、生きてるだけで精一杯だから。
ひとつ、心配があるとすれば、無事元の世界に戻れたとして、浦島状態だったらどうしようってことくらいだけど、それこそ考えてもどうにもならん。
それなら、でっかいお狐さまもふりながら、菓子作って食わせるほうが楽しそう。あくまで、自分の身の安全は自分で守るって前提で。
数秒でそこまで考えて、お狐さまを見上げる。
「その後見云々ってのはちょっと保留にさせてもらっていいですか」
「…ダメか?」
ピンピンおヒゲがしょんぼりと…くっ、耐えろ! 耐えるんだ、私!
「まだこの世界のこと、なんにもわかってないので。もうちょっと自分の立ち位置把握して、落ち着いてから考えたいんです。ダメですかね」
んー…と小首をかしげてかわいいなこんちくしょう。
「あいわかった。なら、住処は、やはり我のところに来ぬか? 事務局が全面的に面倒はみてくれるが、慣れぬ世界での生活は大変だろう。我のところなら、人手だけはあるゆえな」
そんな都合いい話、ありかなあ…と一瞬悩んだけど、今の私、徒手空拳ってやつだ。持ってるのって、出勤用バッグひとつきり。助けてくれる手があるなら、お縋りしてしまおう。
そう決めて、深々とお狐さまに頭を下げた。正座してるから、腕の角度間違えると土下座になってしまう。
「ありがとうございます。お世話になります」
「うむっ。お世話するぞ」
見るからにるんるんのお狐さまは、ご機嫌よく、口をがぱっと開けた。さすがにぎゃっと叫びそうになった私の襟首を器用にくわえて、背中に放り上げる。…ちょっと死ぬかと思った。
それに、狐の背中って思った以上に乗り心地微妙。毛皮があるだけマシだけど、背骨からはみ出ると転がり落ちそう。
必死で毛皮を掴んでバランスよく座ろうとする私に、更なる試練。
「では、我が住処へ参ろうぞ。飛んでいくゆえ、しっかりつかまっておれよ」
「え、あ、お、うえええええええ!?」
ものすごい勢いで空へと跳ね上がり、るんるんらんらんと空中散歩…待て、揺れる!
「お狐さまっ、落ちる! 振り落とされる!」
「案ずるな。そなたは我が結界で守っておる。落ちても死なぬ」
いや、でもこわい!
綱なしバンジーかー! と叫ぶ私を背に乗せて、空飛ぶお狐さまは華麗なる四つ足スキップを披露してくださった。
お狐さまに連れてこられたのは、なんかやたらと立派なお屋敷だった。日本というより、古代中国っぽい。
うー、なんか地面がふわふわする。
前庭みたいなところに降ろされて、くらくらする頭を抱えた。
「大丈夫か? えらく取り乱しておったが」
「ふつーの人間ってのは、空飛ぶお狐さまの背中で平常心保って、景色楽しめるもんじゃないんですよ」
「そういうものか。わかった、次は善処する」
次があるのか。勘弁してくれ。
ため息をついたとほぼ同時に、立派な扉が開いて、綺麗なお兄さんとお姉さんがゾロゾロと出てきて、列を作った。
皆様、お揃いのこれまた古代中国っぽい服をお召しで、眼福眼福。
その中で、ひとり色合いが違うのを着ているお兄さんが前に出て、深々と頭を下げた。皆様、倣え右で一斉にお辞儀。…もしかしなくても、お狐さま、エラい狐か。
「お帰りなさいませ、黒陽様」
「うむ」
「随分と長いお散歩でございました。最後にお会いしたのは、確か……記憶が霞んでおりますが、とりあえずお部屋の硯に埃が溜まるくらいのお留守でございましたな」
…あまり偉くないらしい。
お兄さんの綺麗な笑顔が怖い。
「相変わらず嫌味が得意だな、白影」
お狐さまがため息をつくが、お兄さんめげない。
「嫌味などととんでもない。事実を述べておるだけでございますよ」
「とりあえず、掃除はしろ、掃除」
「しておりますが、使われない部屋の掃除ほど甲斐のないものはございません。で、そちらの女人は? 食料ですか?」
笑顔でなんつーことを訊くか、この男。
てか、やっぱお狐さまって肉食?
「上手いこと言って騙されたのでなければ、お狐さまに住居などをお世話になる人間ですのでお気になさらず」
自己主張はしとかんとな。流れに任すにも限度ってもんがあらあ。
シュタッと手を挙げて、言うべきことを言うと、なぜかお兄さんはマジマジと私を見つめた。
「あと、後見のお申し出もいただきましたが、それはとりあえず保留中です」
「後見?」
「はい」
「黒陽様が?」
「黒陽様ってのがこの巨大なお狐さまのことなら、そうです」
「やめておきなさい、娘さん」
「なんで?」
「この放蕩狐を後見にしたって、ロクなことがありませんよ」
おう、言うな。
「実例を挙げていただけると助かります」
「せっかく掃除した部屋を全く使わず、埃まみれにしたり」
「ほう」
「せっかく洗濯した服があるのに、狐でいるほうが楽だからって袖を通しもしなかったり」
「ふむ」
「せっかくお日様の下で干した布団があるのに、床で丸まって寝ちゃったり」
「へえ」
「せっかく作った食事ほっちらかして、森で狩りしちゃったり」
「あ、それはダメだわ」
「でしょ? 料理人、号泣ですよ」
「料理にも、作ったひとにも失礼ですねえ。私、菓子職人なんで、それはダメ。地雷」
「待て待てまて。娘っこ。さっき、とりあえず保留と言うたではないか」
私とお兄さんの間に、お狐さまが黒い鼻面を押し込んできた。
「えー、でも、私、自分が作ったものを残されるのって嫌なんですよね。食べて口に合わないなら、こっそり捨ててほしいタイプ。でも、手付かずでダメにされたら、怒りの余り、お狐さまをサクッとさばいて、襟巻きにしちゃいそう」
「そんなことはせぬ! かすていらやびすきゅいなら、我は毎日毎食でも食う!」
なにこの狐、偏食か。
お兄さんも、明らかに白い目で見ている。
「ですからね、娘さん。職人さんなら、この世界では結構生きる術があるので、こんな放蕩狐の縛りを受けなくても、楽しく生きていけますよ。なんなら、狐に拾われたよしみで、開店のお手伝いくらいしますし」
私のほうに向き直って、お兄さんが真顔で言う。
その言葉に、ちょっと引っかかった。
「狐に拾われたって、お兄さんも人間ですか」
なんか人間離れして綺麗な顔してるから、てっきり神様系のひとかと思ったのに。
でも、あっさりと首を振った。
「いえいえ、私は本性はウサギです。行き倒れてたところを拾われましてね。はじめは食料ポジなんだと思ってたのに、気がついたら狐の家政係になってました」
「そらーまた波乱万丈ですねえ。ところでウサギさんなら、マク◯ティ的なビスケットとかいかがですか」
「まくびてぃ?」
マクビ◯ィは商品名だけども、ダイジェスティブって上手く言えないんだよ…噛むんだよ…。
「えーと…小麦とか胚芽の味が全面に出た、素朴な焼き菓子です」
開店手伝ってくれるってんなら、餌づ…信用は勝ち取っておくに越したことないからな。
通勤用のバッグを漁って、おやつ袋を取り出した。大阪のおばちゃんじゃないが、どこに行くにも飴ちゃんならぬ菓子を持っていくのだ。タバコ吸わないけど、口寂しいときってあるから。
うちの店のレジ横売れ筋商品、全粒粉のビスケットを出して、ウサギなお兄さんに手渡した。
「これ、私が作ったんですよ。甘さ控えめで、身体にいいものいっぱいです。ウサギさんなら、人間のお菓子ってダメだと思うんですけど、神様ならいけるでしょ」
「ほほう」
「あっ、我も! 我もほしい!」
横からお狐さまが首を突っ込んでくるのを、ぐいーっと押し返した。
「お狐さまは、ちゃんとごはん食べなさい。そんで、料理人さんに謝ってきなさい」
「食べる! 謝る! だから、我にもまくびてーおくれ!」
プライドないな、この狐。
あまりにうるさいので、ひとつ差し出した。個別包装なので、剥いてやったほうがいいのか?
ちょっと悩む私の横で、お兄さんがビニールを破いて、ひと口齧る。
「…これは」
「いかがでしょう」
「美味しいですねえ。小麦の味がしっかりしていて、香ばしい」
よし、ウサギ的にはオッケーらしい。
「我もー! 娘っこ、その包み、破いておくれ」
「黒陽様、甘えたこと言ってないで、人型に戻ればいいだけでしょう」
お兄さんに呆れた顔で言われて、ハタと我に返ったらしい。
「そうか。そのほうがまくびてーも大きくなるな」
「黒陽様が小さくなるだけだと思いますよ」
お兄さんのツッコミにもめげず、お狐さまはぎゅっと目を閉じた。
瞬間、ボヒュン、と音がして、巨大狐が成人男性にへんしーん。
なんでか知らんが、狩衣みたいな格好の長身男性が立っていた。
ちょっとびっくり。
「娘っこ、早う!」
「あ、ああ、はい。どうぞ」
「うむっ」
喜色満面で、いそいそと包みを破って齧りつく。
「うまい! あまい!」
「そらーよかった」
ちょっと後ずさりつつ頷く私に、ウサギのお兄さんが不思議そうに首を傾げた。
こちらは、大きめビスケットをまだカリカリとかじっている。うん、食べ方がウサギ。
「どうかしましたか」
「いやー…でっかい狐が、いきなりトンデモ美形になるもんだから、度肝抜かれました」
「ああ」
お兄さんがちょっと笑う。
この方も、美形さんですがね。でも、お狐さま、桁違い。
まっすぐサラサラの長い黒髪に満月色の目なんて、乙女ゲーのキャラかい。そんで、顔は私の貧しい語彙じゃ、表現できないくらい美形。切れ長の目に、すっと通った鼻筋、唇は薄めなのに、やたら色気がある。
「神々というのは、その神通力の強さで美醜が決まることが多いんですよ。黒陽様は、あれでいて、かなり高位の神ですから」
「お稲荷さんって、そんなに偉いんですか」
「そうですねえ。まあ、あの方の場合、それだけじゃ…」
「娘っこ!」
またもやお兄さんと私の間に割り込んで、「美味かった!」と満面の笑みのお狐さま。
あーあ、口にカケラつけて。美形が台無しだってーの。
つい、手を伸ばして拭ってしまった。
急に手を伸ばしたせいか、目を丸くする狐に繰り返す。
「そりゃーよかったです。だから、ちゃんとごはん食べて、料理人さんにこれまでのこと、謝ってくださいよ」
「相わかった。で、娘っこ」
「なんです。てか、その娘っこっての、やめてください」
「では、なんと呼べばいい」
「ち…」
千代でいいです、と言いかけた瞬間、なんか背筋がゾワッとした。
なけなしの野生の勘が、ダメだと訴えている。私、鈍臭いんだけど、ここぞというときは、この勘でギリギリすり抜けてきたのだ。
注意深く、目の前の狐とウサギを眺める。
思い出したのは、某ジ●リ映画だ。
両親と一緒に、神様の世界に迷い込んじゃった女の子の話。
あの子も、初恋の君も、名前を取られてエラい目に遭ってなかったっけ。
一度警戒すると、目の前の笑顔がどうにも胡散臭く見えてくる。
「娘っこでいいです」
「それがそなたの名か?」
「いいえ。でも、知らないひとに名前教えちゃいけないと、子どものころから言われてるので」
途端に、ふたりが舌打ちした。
あぶねえ。
「やっぱ、名前言っちゃダメなんだ」
「…どうしてそう思う」
「人間の世界にも、いろいろ情報は出回ってるんですよ」
陰●師とか、ネット小説とか、ライトノベルとか。
最後のひと口を口に放り込んだウサギが、ため息をつく。
「あと少しだったのに、残念ですねえ」
「何があと少し?」
「名前…真名と言うんですが、真名を掴めれば、相手を意のままにできるんです」
「…タチ悪いな」
「ああ、たぶん、ご想像とは少し違うと思いますよ。傀儡にするのではなくね、相手の心を自分のものにできるってことです」
「心を?」
「要は、そなたが我に名を教えれば、そなたはその瞬間から、我のことしか考えられなくなり、我のためになんでもしたいと思うようになるということだ」
「なんですか、そのアホな男が夢見るハーレムチートな設定。それ、ふたりに教えたら、私、ふたり同時に好きになっちゃうってことですか」
「一度はな。だが、よりそなたに尽くし、そなたの歓心を買ったほうに、心の比重が移っていくのだ。だから、真名さえ知ってしまえば、我の勝ちは決まったも同然だと思うたのに」
…なんか、訳わからんな。この世界、どうなってんだ。
なんとなく、これまで仕入れてきた知識では上手く飲み込めないものを感じる。
首をひねる私の横で、ウサギのお兄さんがお狐さまに不敵に笑った。
「随分な自信ですが、根拠をお聞きしても?」
「ふん。この娘っこは、究極のもふもふふぇちなのだ。我の毛皮に一目惚れもしたも同然でな。出会いから三十秒で我にしがみつき、頬ずりしまくっておった」
あーそんなこと、しましたねーあのときはこんな男だとは思わなかったんでー。
ちょっと視線が遠くなる。
「ああ、そういうことですか。なら、私にも勝ち目はありますね」
言うなり、お兄さんがボヒュンと縮んだ。
え? と見下ろした先には、白い毛皮のもふもふが。
「私、ウサギですから。毛皮なら、黒陽様に負けませんよ」
「そなたの大きさでは、全身で堪能することはできまい。なあ、娘っこ」
いや…でも…ピクピク動く長い耳とか…ちょっと小首傾げてこっち見てる黒い目とか…
「かわいい…」
「えっ」
「でしょ? 抱っこしますか?」
「ぜひ!」
後ろ足で立ち上がって、前足を伸ばしてくるウサギさん、げーっと!
きゅむーっと抱きしめて、頬ずり。
「かんわい〜ふわっふわ〜」
「腹も撫でていいですよ」
お言葉に甘えて、特にやわらかい腹毛ももふもふ。
「やーん、お狐さまの高級毛皮とは違う親しみやすさで気持ちいい」
「でしょでしょ。どうです、娘さん。後見なら、私でもよくありません?」
「白影っ」
手を伸ばしてくるお狐さまから身をかわしつつ、小鼻をぴくぴくさせてるウサギさんを覗き込む。
「んー…よくわかんないんですけど、どうしてそんなにご親切に?」
「簡単です。この世界、手の込んだ甘味が少ないんですよ。たまーに、EU辺りの神々が洒落た洋菓子をおすそ分けしてくれたりするくらいで。あちらは神饌の習慣があまりないようで、それも少ないんですけどね」
「でも、今どきって、日本人でもお供え物に洋菓子選んだりしません? 私が勤めてる店でも、お盆とかお菓子の詰め合わせやケーキ、よく売れますけど」
「それは、ご先祖とか死者に手向けたものですからねえ。神々に、となるとまだまだ酒や果物、砂糖菓子くらいです。あとね、お供え物って、たぶん娘さんが潜ってきた門を通過してくるんですけど、我々の元へ来るまでにダメになってることがほんとに多くって。日持ちのする蒸し羊羹とか干菓子が関の山。なのでね、甘党としては、娘さんのように菓子作りの技術のある人間の後見になって、確実にお相伴に預かれる身になりたいなあと思うわけですよ」
「はー、なるほど」
そういうことか。まさかのモテ期かと思ったわ。
納得したところで、お狐さまに捕まった。むんずと私の肩を掴み、「そなたの後見は我だ!」と主張してくる。
キリッと真顔で迫る美形ってビジュアルだけなら眼福なんだけどな。
ほんとにこのお狐さま、顔だけはいいんだけども。目ぇ潰れそうなご面相なんだけども。
こいつも甘味狙いだもんなー。
「だから、それは保留ですってー」
今気づいたけど、お出迎えのお兄さんお姉さん、ずっと立ちっぱなしでこのアホなやりとりを聞かされている。
皆様、無表情なんだけど、腹のなかでお怒りなんでないだろうか。
ため息をついて、抱っこしたままのウサギと美形な狐に、「ともかく、これからお世話になります」と強引に言い切り、お兄さんお姉さんたちにも一礼。
「不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」
皆さん、無言でざっと揃ったお辞儀を返してくださいました。
うむ、よくわからんが、敵意は感じないのでよし。
こうして、私の神様の世界で異世界ライフ! な日々が始まったのだった。