おいしい七夕




『…で開催中のビアガーデンでは、本日七夕だけのサービスとして、カップルでご来場の皆様にお好きなドリンクを一杯プレゼントさせていただきます』

 日曜日の昼下がり、つけっ放しにしていたテレビから、わざとらしいくらいに明るい声が流れている。聞き流しながら取り込んだ洗濯物を畳んでいたら、横でほづみくんが「ビアガーデンかあ」と呟いた。
 ちなみに、ソファにうつ伏せになって、長く伸びているが、だらけているのではなく、腰と肩にお灸中。
 料理人の職業病、肩凝りと腰痛の悪化予防に温熱灸を愛用してます。
 ほづみくんみたいな身体を鍛えているひとでも、こまめにメンテしないと大変なことになるんだから、本当に重労働だ。
「桜子さん、行ったことある?」
「ビアガーデン…だいぶ昔に、職場の納涼会とかで一回だけあるけど、ビール好きじゃないし、バイキング形式で料理も大して美味しくないし、周りは酔っ払ったおっさんばっかりだし、二度と行かないって思った」
 床に直接座っているから、すぐそばにほづみくんの顔がある。
 その顔が、「なるほど」と笑った。
「飲み放題食べ放題が売りのとこだと、そうなるのかもね」
「ん、ビールはともかく、食べものって揚げ物とか炭水化物ばっかりだった気がするし、大半が冷凍食品じゃなかったのかなあ」
「じゃあさ、料理が美味しくて落ち着いた雰囲気のビアガーデンなら、どう?」
 どう、とは? と聞き返す間もなく、頭の横に置いてあったスマホを取った。
「さっき、いづみ兄さんからホテルのビアガーデンのチケットいらないかって連絡あってさ」
「いづみさん? 珍しいね?」
 その手のことって、大抵かづみさんか森上さんから話が来るのに。
 畳んだほづみくんのTシャツを、先に畳んでおいたシャツの上に重ねる。こういうふうに、同じ形や大きさのものを揃えるのが妙に気持ちいいタチです。
「お客さんにもらったんだって。でも、かづみ兄さん、外飲み嫌いだから」
「えー、意外。楽しくワイワイしてそうなのに」
「外面いいから、周りが酔ってくるとやたらボディタッチされるんだけど、それが死ぬほど嫌だって言ってた」
「本人じゃなくて、周りの問題か」
 かづみさんとは、大っぴらに外でイチャイチャできないだろうし、そう考えると、苦労が多そう。
「結構いいホテルだから、食事は期待できると思うし、変な客も少ないんじゃないかな」
「そうだねえ」
 ほづみくんが一緒なら、おかしなのに絡まれることもないだろう。むしろ、肉食系の女に旦那が狙われる心配しなきゃだと思うんだけど、ほづみくんのスルースキル知ってるから、あんまり心配はしていない。
「行ってみよっか。せっかくの七夕だし、デートもいいかも」
「やった」
 嬉しそうに笑い、続けてサラッとなんか言った。
「じゃあ、めいっぱいオシャレしようね」
 んん?


 有名外資系ホテルの中庭を利用して開催されているというビアガーデンは、なんとかバーというほうがいいような雰囲気だ。
 白い提灯とライトが煌々と灯り、ほどほどの距離を保ってガーデンテーブルと椅子が置かれている。その間を、ホテルのお仕着せを着たスタッフが料理や酒を持って、スイスイと移動する。
 普段は噴水と四季の花々が目玉の中庭で、灯りを受けて輝く水飛沫と水音が涼しさを演出している。
 周りは、ホテルの格に相応しく、それなりの格好の客ばかりで、みんな歓談しながらこの場を楽しんでいるようだ。
 だけど、中の数人が、どうにもこうにもチラチラとこちらに視線を向けてきて、それが気になってしまう。
 理由はわかりきっている。
「桜子さん、このカルパッチョ、スパークリングに合うよ。あ、このチーズも」
 満面の笑みで、甲斐甲斐しく私の世話を焼きまくってくれるほづみくん。
 本日、浴衣です。
 いやー、知らなかったわー。体格のいい男性が浴衣着ると、肩幅と身体の厚みですっげ見栄えするのね。このひと、剣道やってて袴を着慣れてるから、腰も据わってて、浴衣に着られてる感皆無。男の和服は腰で着るっての、初めて理解した。
 白がところどころに見える藍鉄の麻地の浴衣が、自分の旦那ながら、惚れ惚れするくらい似合っている。
 襟元から覗く鎖骨が色気ダダ漏れで、え、男の鎖骨に色気!?ってめちゃくちゃ狼狽えた。
 私も浴衣ですが、添え物にすらなりません。
「桜子さん、大丈夫? 暑さで疲れてる?」
 心配そうに顔を覗き込まれて、慌てて首を振った。ダメだ、油断すると見惚れる。
「んーん、平気。ここ、思ってたよりずっと涼しいし」
「よかった。野外でも、冷風機って結構効くんだね」
 テーブルの間に、小型のクーラーみたいなものが置かれていて、冷たい空気が吹き出しているのだ。
「それに、ワインも冷えっ冷えだし」
「あー、うん。ここまでいくと、ビアガーデンじゃなくて、野外レストランだよねえ」
 苦笑混じりに言いながら、テーブル横にセットされたワインクーラーからボトルを引き抜く。
 ほづみくんオススメのイタリアのスパークリングワインは、ボトルオーダーしたものだ。
 お酒も料理も、基本的にテーブルオーダーで、客がバタバタしなくていいから、落ち着いて飲める。
「勢いで楽しめる歳は過ぎてるから、これくらいのほうが楽しいよ?」
「まあね。僕も、人混みに揉まれながら飲み食いするのは遠慮したい」
「ほづみくん、痴漢に遭うもんね…」
「言わないで」
 雑踏で、見知らぬ女から触られるのが悩みの旦那は、渋い顔でタコのカルパッチョを口に押し込む。
 私も、白ぶどうのフレッシュさが前面に出たスパークリングを口に含んだときだった。
「あ、桜子さん、来たよ」
 ほづみくんが指差すほうを見ると同時に、焼けた肉の匂いがブワッと広がった。
「お待たせいたしました。シュラスコサービスでーす!」
 女性スタッフのアナウンスに、各テーブルがワッと沸く。
 このビアガーデンの売りのひとつが、シュラスコ…串に刺して焼いた肉の塊から、好きな部位を削いでくれる料理…だ。
 いづみさんがくれたチケット、買うと結構なお値段なんだけども、理由がコレ。相当いい肉を好きなだけ食べられる。
 テーブル横に来た肉の塊に、ついつい目が引き寄せられる。
「こちら、和牛のショートリブです。いかがですか?」
「わーっ、いい匂い!」
 コックコートのスタッフが、一メートル以上ありそうな金串に刺さった肉を掲げてみせる。
「どうしよう…死ぬほどテンション上がる…」
「落ち着いて。浴衣だからね? 勢いで食べると、気持ち悪くなるよ」
「うー…だから、私は服でいいって言ったのに〜」
「それはダメ」
 キパッと断言して、とりあえず三切れ、と頼む。
「え、少ない…」
「いくらでもお代わりできるから。他の部位も、ぐるぐる回ってくるから。ほら、あっちの、桜子さんが大好きなフィレだよ」
「う」
 スタッフさんが手早く肉を切り落とし、付け合わせか、刻んだ玉ねぎと何かを和えたものが入っている器を「こちらもどうぞ」と置いていく。
「ほらほら、食べて。焼き加減、いい感じのミディアムレアだし」
 促されて、フォークとナイフを取って、肉を切る。
 岩塩で味をつけていると聞いていたから、まずはそのまま、頬張った。
 やわらかいけど、しっかりとした歯応えのある肉で、噛むと肉汁が口中に広がる。シンプルな塩味だから、肉の香ばしさを存分に味わえる食べ方だ。
「おいし〜〜」
「うん、旨味が濃くていい肉だね」
 満足げに頷いたほづみくんと顔を見合わせて笑う。
 フィレにロース、サーロインとオーソドックスなものから、地鶏や黒豚、ラムなんかもあって、一切れずつでも全種類食べたら、相当な量になりそうだ。
 ついでに、チーズや玉ねぎもいい感じに焼けて回ってくる。
「桜子さん、このソースつけてもいける」
 ほづみくんが、玉ねぎの器をこちらに押しやった。
「え、これ、ソースなの? 生たまねぎごっそーって入ってるから、箸休め的なやつかと。…うわ、美味しい!」
「酸味と辛味があって、でもちょっと甘味もあって、クセになるね。スパイスはペッパーと……あ、酸味はケッパーか」
「これ、うちでも食べたい〜」
「がんばる」
 甘口の発泡赤ワイン、ランブルスコも追加して、肉が進む。
「そういや、今日って七夕でしょ」
「テレビで言ってたね」
「でも、彦星って牛飼いだよね。七夕に牛食べていいのかな」
「牛飼いって酪農家?」
「……どっちだろ」
 ふたりで首をかしげながら、満足するまで肉を堪能した。
 デザートは白桃のソルベと、ライムのソルベ。ひとつずつ頼んで、途中で取り替えっこするのも、いつものことだ。
 ライムの酸味と苦味のバランスが絶妙なソルベは、ほろ酔いで火照った身体にひんやり染み渡るようで気持ちいい。
「んー、シャリシャリなのになめらか」
「果実味もすごいねえ。これ、再現するのは結構大変だな」
 難しい顔のほづみくんに、ついつい笑ってしまう。
 酔ってて、たぶん笑いの沸点がだだ下がり。
「もー、何でもかんでも再現しなくていいんだよ? 私、ほづみくんのミルクソルベが一番好きなんだから」
「…そう?」
「そう。あれに、メープルシロップかけたのが一番美味しい」
「そっか」
 浴衣の男前は、何かモゴモゴしながらせっせとスプーンを口に運ぶ。
 頰が少し赤くなっているのが、妙に可愛い。
 こういうとき、歳下の旦那さんっていいなーと思ったりする。
 素知らぬふりをするか、からかおうか、と一瞬悩んだときだった。
「お客様、よろしければ、こちらをどうぞ」
 お仕着せのスタッフさんが、横に立っていた。何か紙切れのようなものを差し出している。
 反射的に受け取ると、和紙を二枚重ねた短冊だった。
 濃紺の紙に白い紙を重ねて、穴を開けたところに水引を通してある。
「紺の紙にお名前とご連絡先を、白いほうにお願いごとをお書きください。あちらの笹に吊るしていただきましたら、七夕スペシャルプレゼントの抽選申込完了になりますので」
 中庭の数カ所に立派な笹飾りが置いてあるんだけども、それがいわゆる応募箱代わりらしい。
「へー、七夕っぽい?」
 ペンも置いていってくれたので、余興を楽しむか、と額を寄せ合う。
「連絡先、店のメルアドでいいよね。で、願いごとかあ。桜子さん、なんかある?」
「んー? …店が繁盛しますように?」
「今くらいで十分だよ。もっと忙しくなったら、余裕なくなるもん」
「じゃあ、美味しいものいっぱい食べたい」
「そんなの、短冊じゃなくて僕に言って」
「えー。…思いつかない」
「大学院、無事に卒業できますようにとか」
「院は自力で出るから。星に願ってる場合じゃないし」
「それもそうか。なら……あんまないね?」
 顔を見合わせて、首をかしげた。
 あれ? 人間って、もっと欲深いものでは。
 周りを見ると、わりと楽しそうにああだこうだと悩んでいるようだ。
「…ちょっと思ったんだけど」
「ん?」
 ほづみくんが、軽く眉を寄せている。
「織姫と彦星って年に一度しか会えないんだろ。それも、雨が降ったらキャンセル」
「カササギが橋かけてくれるらしいけど。今、カササギっているのかな?」
「そんな不安定な条件で、やっとこさ会えてさ。他人の願いごとまで叶えてやるのって、大変じゃない? 僕だったらキレる」
「あ、うん。それは、私も前々から思ってた。一年ぶりのデートの日に、余計な仕事させんなよって」
 神様みたいなもんだから、自分たちがハッピーだったら、勢いづいて人間のお願いを聞いてくれるのかなー。でもなー、人間空気読めよってならない?
「元々、七夕のお願いって、習字と裁縫の上達だったみたいだし、今どきの恋愛やら結婚やら物欲やら出世やら、知らんわって思ってそうだよね」
「恋愛関係はさあ、ずっとふたりでいられますように、とか、紙に書く前に自分たちで努力することだし、してるし、死んでも桜子さんと別れないし、意味ないじゃん」
「ほづみくんのそういうとこ、好きだよ」
「ありがと」
 んーと、じゃあ、書くことってアレしかないな。
 ほづみくんに言うと、目を瞬かせて、くしゃっと笑った。
「いいね! さすが桜子さん」
「ほっとけって言われるかもだけど」
「いやー、大丈夫でしょ」
 言いながら、ちょっと癖のある字を短冊に書き込む。
 ほづみくんの字って、少しだけ右上がりなんだけど、払いとかハネが綺麗で好きだ。
「よし、これでオッケー」
 ふたりで、近くの笹に短冊を括りつける。
 他の短冊には、「恋愛成就!」とか「新しいパソコンがほしい」とか「嫁がゴルフクラブを買ってもいいって言ってくれますように」とか、いろいろ書いてある。
「奥さん、しっかりめのひとなのかなあ」
「旦那が浪費癖あるのかも」
 ほづみくんが私の腰に腕を回して、ぎゅっと力を込める。
「一年に一回しか会えないなんて、気の毒にもほどがあるよね。僕だったら、物理で川の水抜く」
「天の川の水抜いたら、地上がノアの箱舟状態になるんじゃない?」
「宗教違うから大丈夫だよ、たぶん」
 それ以前に、天帝様に反省してないだろって怒られそうだけども。
 今日はアップにしている髪を、腰から上がった大きな手が撫でる。
「桜子さんは、ちゃんと毎日僕のそばにいてね」
「いますよ、もちろん。私の旦那さん、寂しがりやだから」
「うん。奥さんいないと、生きてけない」
 笑い合う私たちの頭上で、短冊が夜風に揺れる。
 右上がりの字で、「晴れろ!」とだけ書かれた短冊が。
 都会の夜じゃ、星なんて見えないし、雲が出ているのかすら曖昧だけど、雨が降らなければいいんじゃないかな。

 後日、ちょう高級ブランド米一年分が当たったと連絡があり、夫婦揃って、「お礼? 嫌がらせ?」と首をひねることになった。