ほづみんリゾート




 青い空、白い雲、涼しげに揺れる水面。
 照りつける陽射しはきついが、海辺ではなく、湖のそばだからか、吹いてくる風はどこかさらりとしていて心地いい。
 だが、どんなシュチュエーションだろうと関係なく、気持ちを浮き立たせてくれるのは、桜子さんだけだ。
 どんな桜子さんでもいいんだけど、今日は水着だ。
 浮き立つどころか、本気で地に足がつかない気分。
「すっごいいい天気! ほづみくん、早く行こ!」
 弾けるような笑顔で俺の手を引く奥さんは、死ぬほど可愛い。
 いつでも死ぬほど可愛いけど、今日は水着なので、本当に死ぬかも。
 ああ…俺、御厨の家に生まれて、人生で初めて感謝してる。
 無駄にコネのある知り合い、万歳。


 桜子さんと水着バカンスしたいんだけど、御厨の保養所を使わせてもらえないかと母経由で現在の社長である森上さんに問い合わせをしたら、タイミングの悪いことに改装中だった。
 なら、桜子さんの夏休みに合わせて、どこかのリゾート地でも行くかと思ったものの、ハイシーズンでどこも満室。
 どうするかと悩んでいたら、森上さんから、「国内でいいんなら、知り合いのホテルで融通が利くけど」と連絡があったのだ。
 海ではなく、湖のリゾートだけど、ちゃんと湖岸が遊泳用に整えられていて、プライベートビーチのようになっているという。
 桜子さんも、海より淡水のほうがベタベタしなくてよさそうと頷いてくれたので、即、そこを押さえてもらった。
 盆休みも利用して、四泊五日ののんびりリゾートだ。
 食事は全部外食かルームサービスになるのが唯一の難点だが、桜子さんが「たまには、なんにもしないでゆっくりいちゃいちゃしよ」と言うので、良しとした。
 で、本日。
 ホテルに到着してチェックインを済ませ、早速着替えてビーチへと向かった。
 一階のレセプションホールは、俺たちと同じくレイクサイドリゾートを楽しみに来た客が、ちらほらと見受けられる。
 ここ、ビーチで泳げるし、マリンじゃないがマリンスポーツもできるのだ。桜子さんが、バナナボートに乗りたいって言ってた。
 ともかく、宿泊客専用らしい通用口を通り、外に出ると広がる湖面がすぐ目の前だ。
 空気は、近頃の酷暑のせいでかなり蒸し暑いが、景色のおかげか、それが苦にならない。
 湖岸は砂浜になっていて、デッキチェアやパラソルが並んでいる。
 観葉植物やレストランを兼ねた南国コテージ風の東屋もあって、なかなかにオシャレ。
 森上さん、「新婚だろ? 奥さんといい感じにいちゃつきたいもんだろ? 陽の下で、思う存分楽しんでこい」と、どこまでわかって言ってんのかわからん言葉を添えて、ここのチケット渡してくれた。
 言うだけあって、陳腐さは全くない。
 海水浴場みたいに、人間がイモのようだ、みたいな状態とも縁遠く、それなりに賑わってはいるものの、落ち着いた雰囲気だ。
「なんか、大人のリゾートって感じだね」
 桜子さんが周りを見回して、感心したように頷く。
 ひとまず、空いているデッキチェアにタオルや荷物を置こうと、白いパラソルが並んでいるほうへと足を向けた。
「このビーチ、十八歳未満は使用禁止なんだって」
「え、それってすごくない?」
 水着の上に白いパーカーを着ている桜子さんは、俺の手を握ったり、腕にしがみついたりとまとわりつくようにくっついている。サンダルを履いた足がステップを踏むみたいにうきうきしているので、かなりテンションが高いらしい。
「すごいと思うよ、この不景気な時代に。でも、それがウケてるんだよねえ。特に、ひとりでのんびりしたい独身層には」
「なるほど。あ、でも、ロビーに家族連れのお客さん、いたよね。てことは、ホテル自体は子どももオッケー?」
「らしいよ。家族連れ用のビーチとかアトラクションもちゃんと用意されてるから、要はゾーニングでそれぞれのニーズを満たしてるってことなんだろうね」
「ふうん。じゃあ、私たちも子どもができたら、そっちだね」
 無邪気な笑顔で、当たり前のように言う。
 水に入るからと、日焼け止めだけでノーメイクだから、いつもよりぐっと幼さが出ているんですが。
 ちゃんと歳上だってわかってるんですが。
「…幼妻」
「はい?」
「いやいや。とりあえず、この辺に荷物、置いておこうか」
 タイミングよく、二人用らしい幅広のデッキチェアが空いている。
 そこに並んで腰を下ろすと、アロハシャツにスラックス姿の従業員がすっと寄ってきた。
 部屋番号を伝えて鍵を見せると、持っていた貴重品ボックスにスマホや財布を入れて、暗証番号をセットする。代わりに、俺と桜子さんの腕にバーコード付きのリストバンドを巻いて、「ごゆっくりお楽しみください」と告げて、立ち去った。
「貴重品、預かってくれるんだ?」
 珍しげにリストバンドを眺めて首をかしげる。
「うん。あと、何か食べたり飲んだり、レンタルしたりとかも、このリストバンドで決済してくれる。チェックアウトのときに、まとめて払うんだよ」
「へー! 便利」
 ビーチには、レストランの他に、バーカウンターのようなものが出ていて、カクテルやソフトドリンク、軽食を頼めるようになっている。
 俺たちは、ここに来るまでの特急の中で駅弁を楽しんだので、今はとりあえず水遊び優先だが、水から上がったら何か頼もう。
「じゃあ、ほづみくん、早速」
 タオルを置いて、桜子さんが待ちきれないような様子で腰を上げた。
「待って。日焼け止め塗らなきゃ」
「あ、そっか」
 座り直し、ダボッと大きいパーカーのポケットからボトルを出す桜子さんを尻目に、周りをさりげなくチェックする。
 ん、基本的にカップルだな。
 あとは、一人客らしい男女が数人、デッキチェアやバーで寛いでいるくらい……男だけのグループもいるか。
 まあ、悪ふざけするような客層じゃないと森上さんから聞いてることだし、あんまり神経質にならないようにしよう。
 そういうのにばっかり意識を取られてちゃ、もったいない。
 せっかく、桜子さんとリゾートなのに、と思ったところで、顔を覗き込まれた。
「ほづみくん、どしたの?」
「え、なんでもな……くない」
「ないの?」
 目を丸くした桜子さんの全身を、ついつい舐めるように見てしまう。
 パーカーを脱いで、普通の黒いビキニ…いや、普通の基準、知らんけど…なんだが、相変わらずの美巨乳とくびれたウェストライン、いつもは隠れている腰から腿へのラインが丸見えで、どうにもこうにも!
 しっかりホールドのビキニって聞いてたけど…今日までお楽しみって見せてもらえてなかったんだけど…ものすごい眼福な感じの乳の盛り具合なんだけど……むしろ、下の紐パンがきわどくてエロい。
「旦那さんの視線が怖いんですが」
「うん。我ながら、太陽の下でがっつり視姦してる自覚はある」
「視姦言うな」
 ツッコまれても、無理。目が閉じられない。ちょうドライアイ。
 黒のビキニの中でまんまるく盛り上がった白いふくらみと深い谷間に釘付けです。
 俺、ほぼ毎日、あの奇跡の美巨乳に顔埋めてんのか……揉んだり舐めたり吸ったりなんつー幸せ……あ、やべえ、俺も水着だわ。
 ハーフパンツタイプの水着にパーカーを羽織っているが、このままではパーカーが脱げなくなってしまう。脱いだら変質者になってしまう。
 必死の思いで目を逸らし、なぜか見知らぬ男と視線が合った。
 グラス片手にバーからデッキチェアに移動中らしいが、前方ではなく、俺たちのほうを見下ろしている。
 その視線が、桜子さんの胸元を凝視していることを認めた瞬間、砂を投げてやりたくなった。
「ほづみくん、大丈夫? 顔が赤くなったり青くなったり赤くなったりしてるけど」
「あ、うん」
 顔を覗き込まれて、我に返った。
 でも、一人客の男数人が、こちらを見ているような気がして仕方ない。
 こんなマンガみたいなこと、あるのか!? 一枚脱いだ瞬間、男どもの目を惹きつける美巨乳!?
 …いや、乳だけじゃねえわ。桜子さん、プロポーションいいんだよ。
 前は痩せすぎだったけど、三食きっちり食べて、日々俺が揉みまくってるもんだから、ちょうマシュマロふわふわ感満載なボディラインになっている。ふともも、めっちゃ美味しそう。これ、ヤバイな。
「ちょっとあっち向いて座って。日焼け止め塗ったげるから」
 俄かに危機感を覚えて、桜子さんを脚の間に座らせた。
「こんな抱っこ体勢で塗るの?」
「髪、くくったほうがいいと思って。日焼け止めがついたら、カピカピになりそうだし」
「そっか」
 ひとつ結びにはしてるんだけど、しっぽが垂れてるのを言い訳にして、ゴムを取る。
 手櫛で高い位置に結び直しながら、細い首筋に唇を押し当てた。
「ひゃ。なに?」
「んーいつ見ても、白くて綺麗だなーって」
「ほづみくん、ここ、公共の場」
「大丈夫だって。みんな、自分たちが遊ぶのに忙しいから、他人なんて見てないよ」
 いや、見てるけどな。
 さっきの男、ふたつ隣のデッキチェアに落ち着いて、こっちガン見してるしな。
 ボトルからリキッド状の日焼け止めを手のひらに出し、両手で広げ、桜子さんの腕を取った。
「腕とかは自分で塗れるよ」
「だめー。肩のほうとか、塗り残しがあったら大変なことになるよ。日焼けって、要は火傷なんだから」
「カホゴー」
「大事な奥さんだもん」
 耳を赤くして黙り込んだ桜子さんに笑みを洩らしつつ、肩から二の腕、手首へと塗り広げていく。
 その間も、桜子さんの好きな低めの声で話しかける。

「肌、やっぱりスベスベだね。気持ちいい」
「そ?」
「毎日、風呂でいろいろしてるからかな。いっぱい気持ち良くなって汗かいてるからじゃない」
「なんか、言い方がいかがわしい…」
「え、どこが?」

 すっとぼけながら両腕と首筋、肩甲骨の辺りへとしっかり塗っていく。

「ほづみくん、なんでビキニに手ぇ突っ込もうとしてんの」
「胸元とかおなかもしっかり塗らなきゃ」
「水着の下は塗らなくていいと思うの」
「遠慮しないで」
「遠慮じゃないから。人目があるから憚って」

 抱きしめた奥さんの手にときどき邪魔されつつ、足まできっちり塗り込んだ。
 ウォータープルーフがっつりのやつだし、こまめに塗り直せば、たぶん大丈夫だろう。
「背中にも塗りたいんだけど、向かいあわせに座れる?」
「座れるけど、どしたの」
「ビキニの後ろ、結構しっかり目だから、一度外さないと塗れなさそうで。でも、今の状態で外したら、えらいことになります」
 無言でもぞもぞと姿勢を変え、向かい合わせになる。
 例の男が目を見張っているが、構わず、桜子さんの耳元で囁いた。
「万が一、落ちちゃったらマズイから、ちゃんとしがみついてて」
「ん」
 背中に回された腕に力が籠り、やわらかなまろみが押しつけられる。
 あれ、なんかいつもと感触が違う。
「カップに何か入れてる?」
「水着用のヌーブラつけてるよ。もし、外れちゃっても見えないし、いいなーと思って」
「なるほど」
 ちょっと残念だけども、いい安全策だ。
 気をつけて、首と背中の紐を解く。
 きゅっと腕に力が入って、ぴったり密着した。
 あー、やわらかいし可愛いしたまらん。
「あんまりきつくしがみつくと、おっぱい潰れちゃうよ?」
「…なんか、声が喜んでるっぽいんですが」
 ご明察。
 でも、余計なことは言わず、日焼け止めを取った手を背中に滑らせた。
 背筋から端に向けて広げ、腰を掴むようにして撫で回す。
「ほ、づみくん」
「ん?」
「手が、やらしい」
 俺の肩に預けていた顎を浮かせて、横目で咎めるように見つめてくる。
「てかさ、こんな体勢じゃなくて、普通にさっきの状態でよくない? 私が自分でビキニ押さえてればいいんだし」
「バレたか」
「おい」
「だって、他の男が桜子さんの身体、舐め回すみたいに見てるんだもん。腹立って、自己主張しちゃった」
 呆れたように息をつき、ぺたっと元の姿勢に戻った。
「毎日、欲望の赴くまま、触りまくってるのに」
「それとは別。僕の奥さんを邪な目で見るなんて、目玉抉りだされても文句言えないよ?」
「怖いから。とりあえず、意図は理解したけど、このままだと警察呼ばれるかもだし、いつまで経っても水に入れなさそうだし、お願いだからビキニ結んで」
「ちぇー」
 ま、日焼け止めもちゃんと塗ったから、いいか。
 ホルターネックと背中の紐をしっかりと結び、「いいよ」と声をかける。
「ほんとにもう。公共の場所で何をするかな、この旦那さんは」
 身体を離して、顔を顰める。
 そんな顔も可愛いんだから、本当にやばいと思うんだ、僕の奥さん。
「おっぱい揉むのは我慢したんだから許して」
「乳揉まないのは当たり前です」
「えー。本当は、うつ伏せになった桜子さんにまたがって、ビキニ剥ぎ取ろうかなーって思ったのに」
「真顔で何言ってんだ」
「そんで、首から背中まで日焼け止め塗りながら、おっぱいも揉む。桜子さんが気持ちよくなって、腰浮かしちゃうまで揉みまくりたかった」
 言ってるうちに、やりたくなってくるから困ったもんだ。
 桜子さんは、頭を抱えるようにして、「どこのAVだ」と呻く。
「森上さんの紹介なのに、初っ端で出禁になる真似はやめとこうね。私、暁子さんに顔向けできないことはしたくない」
「大丈夫だよ? 父によると、某国のヌーディストビーチで散々いちゃついたこと、あるらしいから」
 あの親父も、大概だったと思うが。
 息子に何聞かせてんだ、本当に。
 ちょっと視線が遠くなるが、桜子さんは別のところが気になるらしい。
「そんなハッテン場紛いの規律緩いとこ、行ったの? 暁子さんが?」
「完全なプライベートエリアだったらしいからねえ。当然、乱交はアウトだけど」
「…ほづみくん、これ以上、R指定用語飛び出す前に、泳ぎに行こう。そうしよう」
 立ち上がってサンダルを砂の上に落とす桜子さんに、俺も慌ててパーカーを脱いだ。
「待って。ひとりじゃ危ないよ」
「だいじょぶー」
「ダメだって。ナンパされても気づかないだろ」
「…気づかないんなら、いーじゃん」
 むっとした顔も可愛いが、言ってることが危ないので呑気にしていられない。
「ほら、ちゃんと僕と手ぇつないでて」
「子どもじゃないのに」
「子どもじゃないからです」
 しっかりと奥さんの手をつかまえて、話を逸らそうと、途中に積まれていたエアマットを指差した。
 桜子さん、ああいうの好きそう。
「あれ、借りる?」
「うんっ。ほづみくんが乗ったら、バタ足で押してったげる」
「いやいや、それ、逆でしょ」
「えー? 男尊女卑?」
「レディ・ファーストと言ってください」
 できれば、一緒に乗っていちゃいちゃしたいもんだが。
 あ、そういや、自分に日焼け止め塗るの忘れてる。
 桜子さんに言うと、「もー」と笑いながら、デッキチェアから取ってきてくれた。
 その間に、大型のエアマットを借り出しておく。
「わーこういうの、初めて。すっごいわくわくする」
 戻ってきた桜子さんが、満面の笑みでエアマットをぽんぽんして、聞き捨てならないことを言った。
「もしかして、ボートとかも乗ったない?」
「ないよー。こういう水遊び自体、初めてだもん」
 よし、全部やろう。
 とりあえず、ここでできるマリンスポーツ、制覇するつもりでいよう。
 固く決心を固めつつ、はしゃぐ桜子さんと一緒に、まずは足首まで水に浸した。
 透き通った水は、思いの外、温い。
「お、わりと冷たくない」
「ほんとだ。なんか、色から勝手に冷たそうって思ってた」
 準備運動代わりに、浅瀬でぱちゃぱちゃしながら、桜子さんが日焼け止めのボトルを翳した。
「ここで塗る?」
「んー、もうちょい沖に出てから、水の上でいいや。桜子さん、塗ってくれる?」
「当たり前でしょー。まあ、さっきみたいに胸押しつけてどうこうってのはないけど」
 それこそピンクな風呂屋になるんでは、と思ったが、うちの奥さん、エロごとにはチャレンジャー精神発揮するので、黙っておいた。
 水上で本気でその気になったら、自分のことながら手に追えん。
 桜子さんに火がついても、以下同文。
「普通に塗ってください、普通に」
「ひとにはエロエロしいことしたくせにー」
 ちょっと拗ねたような顔で、なぜか俺の腹を平手で叩いた。
 ぺちぺちしながら、「どっちがエロいんだか」と唇をとがらせる。
「私なんかより、ほづみくんのほうがよっぽど人目惹くんだからね。こーんなモデル体型で、その顔なんだから。綺麗なおねーさんにナンパされたら怒るよ」
「えー」
 ちょっと浮かれた気分になったら、桜子さんの眉が寄った。
 怒んないで。奥さんにヤキモチ焼かれるの、嬉しいのだ。
「なんでそんな喜んでるの」
「僕がナンパされたら、私の旦那に手ぇ出すなって言ってね?」
「どこの姐さんだ」
 げんなりした顔で前屈する。
 え、そんなに脱力させた? と思ったが。
「うりゃっ」
「ぶっ」
 派手に跳ね上がった水に顔面を直撃された。
 水を拭って目を開けると、桜子さんが笑っている。
「水も滴るいい男」
 夏の陽射しの中ではしゃぐ彼女は、今まで見たどんなものより綺麗で、可愛くて、堪らないほど愛おしい。
 あ、やばい。駄目だ、泣く。
 だって、好きな子と結婚してリゾート地に来てずっと一緒で水遊びとかのんびりとかまったりとかずっと一緒でそれでこんな笑って嬉しそうでヤキモチも焼いてくれちゃってずっと一緒で水着だし可愛いしずっと一緒だしなんでこれで涙腺緩まないんだ、緩むだろう普通。
 昂ぶる感情のまま桜子さんを押し倒しそうだし、本気で目頭熱くなってきたし、なんとかして誤魔化さなくては、と考えたが、基本的にアホなので。
「ほづみくん!?」
 頭から水に突っ込んで、逃げた。
 でも、すぐに桜子さんに捕まって、「どうしたの」と心配される。
 水のおかげで頭が冷えたが、完全に奇行だな、うん…。
 なんとか誤魔化しつつ、エアマットで少し沖に出て、遊泳区域ロープの内側でぷかりと浮かぶ。
 少し雲が出て、和らいだ日の下で足だけ水につけて、マットに寝転がった。
「気持ちいいねえ」
「うん。これくらいなら、日焼け止めいらないかも」
「忘れてたっ。ダメだよ、油断しちゃ」
「そう?」
「夜になって真っ赤になったら、のんびりするどころじゃないでしょ」
 そう言われると、不安になる。
 起き上がって、桜子さんに手伝ってもらいながら、日焼け止めを塗り、また転がる。
 手をつないで、波の揺れを楽しんだり、飛んでいく鳥の影を数えたり。
「空、広いね」
「うん。なんか、世界にふたりっきり感、すごい。冬のホテルでも思ったけど」
「僕たち、そういうとこばっか選んで旅行してるのかな」
「いいんじゃない? 楽しいから」
 寝転がったまま、顔を見合わせて笑う。
 桜子さん、水泳は学校でしかしたことがないって言いながら、水への恐怖心がないみたいで、ときどき「クールダウンするー」と潜ったり。
 俺も、桜子さんをエアマットに乗せて、押しながら泳いで、近くの岩場のようなところまで行ったり。
 
 散々遊んだあとは、デッキチェアに戻って休憩。
 南国じゃないけど、リゾート気分でピニャコラーダとモヒートを選んだ。
「ココナッツミルクの味なのに、さっぱりしてて美味しい〜」
 ストローをくわえた桜子さんが、満足げに笑う。
 ちなみに、俺の膝の上に横座り。
 他のカップルも、この程度はやっているので抵抗ないらしい。
 周りのデッキチェアは、俺たちと同じく休憩やら午睡やらのカップルばっかりだし、皆、ここの空気のせいで開放的になっているのか、日本とは懸け離れた雰囲気で寛いでいる。
「水遊びで涼んで、冷たいカクテル飲んでって、贅沢」
「身体、冷やしすぎてもダメだから、飲んだら、一度部屋に戻ろうか。夕飯、レストラン予約してるし」
「そだね。シャワー浴びたい」
 今日の夕飯は、ここの名物、キューバ料理が食べられるレストランの席を取っている。
 俺も桜子さんも、キューバ料理は初めてだ。
 彼女と知り合う前だったら、たぶん試そうともしなかったと思う。
「キューバ料理って、想像つかないなー」
「僕も。ネットで調べたら、素材はシンプルでスパイス多めらしいけど。魚介も多いって」
「楽しみだね」
 楽しそうに笑う桜子さんと一緒にいると、それだけで幸せになれる。
「明日は、バナナボートする? それとも、シュノーケリングとかやってみる?」
「シュノーケリングって潜るやつ?」
「ダイビングみたく、深いところじゃなくて、太陽光が届く浅めのところだけど」
「おもしろそう」
 好奇心いっぱいに目を輝かせる。
 あんまりその表情が可愛くて、ほぼ衝動的に唇を重ねていた。
 軽くキスして離れると、目をぱちぱちさせる。
「どしたの」
「かわいいなーって思ったら、したくなった」
「あのね…」
 顔を赤くして、ちょっと俯く。
 耳も染まっていて、やっぱり可愛い。
「もっかいしていい?」
「ほづみくん、人目、気にしようよ」
「誰も見てないから、気にしようがありません」
 グラスをサイドテーブルに置いて、桜子さんの頬に添える。
「冷たい」
「グラスのせいかな、桜子さんもほっぺ赤いけど」
「…日に焼けたかも」
「そう?」
 絶対違うよなーと滲ませて顔を覗き込むと、ちらっとこっちを見た。
「ほづみくん」
「ん?」
 やわらかくて、ひやっとしたものが唇に触れた。
 桜子さんが、頬が触れそうな距離で笑っている。
 してやったり、と言わんばかりの笑顔だ。
「お返し」
 ……なんなんだ。
 なんなんだ、この可愛いイキモノ。
「桜子さん、今すぐ部屋に戻っていいかな」
「待って、なんか目が怖い」
「最後の数ミリの理性で、この場で襲いかかりたいの、堪えてるからかな」
 この体勢なら、ビキニの隙間から挿れても周りにバレないのでは、と思ったのとほぼ同時に、桜子さんが立ち上がった。
「さく、」
「襲われる前に逃げる」
「え、ちょ…マジで!?」
 グラスを俺に押しつけ、湖目指して走り出すもんだから、慌てて後を追った。
「桜子さん、待って!」
「きゃーっ」
 踝が浸るくらいのところで振り返り、バシャバシャと水をかけてくる。
 笑ってるから、完全に遊びだ。
 それなら、とこっちも本気で遊ぶことにする。
「僕を本気にさせたね…」
「え」
 水を被った髪を掻き揚げながら、狙いを定める。
 一瞬、動きを止めた隙を狙い、水の中で砂地を蹴って、桜子さん目掛けてダイブした。
「ほづっ」
「捕まえた!」
 水の中で桜子さんをがっちりホールドして、尻もちをつく。
 海ほど波がないから、腰湯くらいの水位の中、ふたりして転がった。
「ぷ…ふあっ」
「大丈夫? 水、飲んでないよね?」
「…しっかり支えながらタックルされたからね」
 砂地に座り込んだまま、犬が水を振り払うように頭をぶるぶる振る。
「ほづみくん、身体大きいから、迫力が凄かった」
「ちょっと狙ってた。いきなり逃げるんだもん」
「ほんの悪戯心なのにー」
「悪戯でも、逃げないで」
 濡れた髪が顔にくっついているのを指で払って、唇を押し当てる。
 くすぐったそうに頬へのキスを受けて、桜子さんは「なんか慣れてきたのが怖い」と呟いた。
 …そうか、これってチャンスかもな?
 ここで、人目があるところでのいちゃいちゃに慣らして、家に帰ってからもあんまりに気にしないように誘導してみよう。
 桜子さん、基本的に他人の視線に鈍いんだけど、さすがに腰を抱いたり、髪に触れたりするのは、気恥ずかしいらしい。
 無闇矢鱈といちゃついて、公然と醜態晒す趣味があるわけではなく、できればフランス基準のボディタッチに免疫つけて、エスコートさせてほしいのだ。
「悪いことしてるんじゃないし、周りも似たようなもんだから、あんまり神経質になってても疲れちゃうよ?」
 尤もらしいことを言いながら立ち上がり、桜子さんも水の中からひっぱり上げる。
「そうかなあ」
「そうだよ。さっきだって、隣のデッキチェアのひとたち、事後かみたいな格好で寝てたじゃん」
 隣のカップル、仰向けになった男の上に女性がうつ伏せになって、脚を絡ませていたのだ。
 あれ、男の手が、いつ彼女側の水着の中に入ってもおかしくない雰囲気だった。
 でも、桜子さんは、「そうだっけ?」と首をかしげる。
「…人目、気にしてたんじゃないの?」
「こっちを見てないひとたちは、全然気になんない」
「僕らも、周りにとっちゃ同じだと思うんですよ、奥さん」
「そっか」
 やっと納得できるポイントを見つけたらしい桜子さんの腰を、ぎゅっと抱きしめた。
「だから、いっぱい仲良くしようね」
 俺の背中に腕を回して、おかしそうに笑う。
「いつも仲良しでしょ?」
「……うん」
 砂浜を歩いているから、うっかり足を取られてしまうかもと思うのに、桜子さんから目が離せない。
 ああもう、本当にどうしよう。
 いつもいつでも思ってるけど、桜子さんがいなくなったら死んでしまう。
 好きで好きで仕方ないのに、まだまだいくらでも好きになれそうで怖い。
 このままじゃ、本当に頭がおかしくなってしまうと不安になるくらいなのに、俺をそうさせている張本人はあっさりと更に背中を押すのだ。
「部屋に戻ったら、一緒にお風呂だよね?」
「もちろん。日焼けしてないか、ちゃんとチェックして、もし焼けちゃってたらすぐにアイシングしなきゃ」
「じゃあ、ほづみくんのアイシングは私がするからね。動いちゃダメだよ」
「…なんか、うそ寒いものを感じるのは、なんでかな」
「気のせい、気のせい。日焼け止め塗ってもらったときの報復にエロエロしいことしようとか、考えてないし」
「……ツッコミたいんだけど、藪蛇の気配ぷんぷんすぎて」
 にまーっと笑って、俺の腕にしがみついた。
 ご機嫌そのものの笑顔は、この時間を心底楽しんでいるんだとわかる。
 俺と一緒にいるときに、こんな嬉しそうな、幸せそうな顔で笑ってくれる桜子さんで、本当によかった。
 こんなひととこれからもずっと一緒にいられるなんて、奇跡だとしか思えない。

「エロエロ、大歓迎っちゃ大歓迎なんだけど、やりすぎると夕飯食べられなくなるかもよ?」
「えー、それはヤだ」
「キューバ名物のラムも揃ってるっていうし、モヒートもかなり美味かったし、エロい報復なら、食後のラムとか楽しみながらお願いしたいなー」
「それじゃあ報復じゃなくて、サービスじゃん。まあ、別にいいけど」
「いいんだ…」
「だって、結局仲良くいちゃいちゃするんだから、一緒だもんね」
 
 …どう考えても、俺が桜子さんに勝てる日は来ないな。
 いいや、勝てなくても。
 死ぬほど幸せだから。